ナイスビュー

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某月某日

神谷町の空はよく晴れていた。
6月最初の土曜日『誰そ彼 Vol.21』の当日、御徒町で2軒のカレー屋にふられてしまった僕は、結局神谷町の行きつけの中華屋で冷やし中華を食べる事に決め、信号を待っているとスタッフのサイトウくんも来た。

思わず2人でビールを頼み、イベントに向けて気合いを入れるどころかますますリラックスしてしまった。
今年最初の冷やし中華とビールの組み合わせは最高に旨かった。

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うっかりビールを飲んでしまったものの、みんなのがんばりで恙無く準備は終了し、開場。
涼しげな風が吹き始めた光明寺のテラスでは、飲み物片手に談笑する人々、スパイスの香りにつられお坊さんの作ったベジカレーを食する人、なんとはなしに墓地を見つめる人、それぞれライブまでの時間を過ごしている。

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誰そ彼スタッフが作成したジン『nam』の評判も上々のようでよかった。

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一番手は佐立努さん。持参の小さなアンプをフィードバックさせ、小さなノイズを堂内に広げる。
歌う声は密やかで、メロディーは美しい。
まるで小さなニールヤングのようだ、と思った。
思わず人柄の滲み出る曲間のMCの佇まいにも大きく共感。

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風は段々と涼しさを運び、インドからのお客様を招き入れる。
ディネーシュ・チャンドラ・ディヨンデさんは来日14年のタブラの先生だ。
上手な日本語でタブラという楽器の概要を説明した後は、とにかく叩きまくった。
タブラとは打楽器にしてなんと雄弁に語るのか、と思わせるのは流石の先生の技術故。
お寺にタブラってのはベタ過ぎて今まで考えてなかったけど、当たり前に良い。悪かったら困る。

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ここで一度クールダウン、一年間のインド留学を経て帰国した光明寺僧侶、松本紹圭氏の法話タイム。
インドで「経営」を学んで思い至ったという話は正に誰そ彼ジン『nam』の語る一面と符合した。

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ラストはmoon face boys。
昨年の光明寺大掃除の時、moon face boysのCDRをラジカセでかけたら、スタッフのNちゃんはアルゼンチンの(音響系一派の)人かと思ったそうだ。
誰そ彼の宣伝をすべく小田原FMでmoon face boysをかけてもらった時、インターネット経由のサイマルラジオの妙な音質で聴いたらバシッとキマってたし、辺境のデバイスがマジックを呼ぶらしいmoon face boysの音楽。
やはり光明寺の風景の一部にも溶け込み、親しみの空気で堂内を満たしてくれた。
急遽客演が決まった名古屋のMC HADAさんによる異化にも思わず膝を叩く。

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そしていつもの様にみんなでお経を詠んで終了。
ご来場くださったお客様、御出演者の方々、スタッフのみんな、ありがとうございました。

片付けや打ち上げで各スタッフから聴いた声は、「誰そ彼らしい誰そ彼でよかった。」との事。
"誰そ彼らしさ"の定義はよくわからないが、自分もなんだか凄く「安心」でいられる時間であったと思う。
どうやらその場限りにこしらえられた空間とは思えない。目には見えないけど、まるで地底の水脈のようにどこかで会場の皆さんと繋がっていると思える景色があった。

この日久々に誰そ彼の舞台で法話をしてくれた光明寺の松本君とも話していたように、まずは自分の見渡せる世間がナイスビューである事。その中に居る人たちから見てもナイスビューである事。
そんな機会をひとつでもふたつでも、自分達のできる範囲で作っていく事が今は大切に思えるのだ。
まるで草むしりのように、シンプルで地道だけどたいせつな事。
整えられた庭は何度でもながめたくなる、安心で豊かなナイスビューであるはずだから。

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このページは、管理者が2011年6月12日 12:34に書いたブログ記事です。

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