2011年6月アーカイブ

自由の筈

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某月某日

西武新宿線、武蔵関にあるジーンズキッチンという飲み屋で、
久住昌之さんのバンドBlue Hipのライブを観た。

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久住昌之さんは『孤独のグルメ』や『かっこいいスキヤキ』の原作者として有名な方で、音楽もやっておられる方。
以前、誰そ彼や築地本願寺ライブにご出演頂いた事もある。

とある夏の日、吉祥寺の某居酒屋でお会いしてお話しして以来、僕はすっかり大ファンで、誰そ彼にご出演頂いたり、著作を読んだり、ライブに足を運んだりしているのだ。

この日の会場である武蔵関ジーンズキッチンは、料理がなんでもおいしくてリーズナブルな素晴らしいお店。
以前近くに住んでいた頃はよく通っていた。
マスターやスタッフさん達も覚えてくれていて声をかけてくれるの
が嬉しい。

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久住さんの作る歌は楽しい。
バカな歌があったり、グッとくる歌があったり、古い曲へのリスペクトを感じられる歌があったり、とにかく飽きないのだ。
これは久住さんの著作やプロジェクターショーなど全ての作品に感じる事だけど、いつも「違う視点」を与えてくれて、それは生活の何気ない風景をクスクスと可笑しいシーンに変えてくれる。

一人で外食している時とかなんとなく散歩している時とか、、、
そこにどうしようもない事情ややるせない現状があったとしても、ただ在る風景に愛と共感を呼び込む手品をもっていらっしゃるのだ
それは時にとても役に立つ。

そんな久住さんのスタンスが感じ取れる名曲が、この日のライブのクライマックスで演奏された『自由の筈』だ。


生まれちゃうのは偶然
いつか死ぬのは必然
その間は 自由
その人の自由の筈なのに


「あ、今、自由の筈なんだった!」
と、ふと気付かせてくれる、ある視点。
そして「なのに」って思ってしまう僕ら。「なのに」、、、「なんだ!?」

この歌の中で「なのに」の先は語られていない、ただ「自由」と並べて歌われているのは世の中の美しいもの。
まるで「自由」とは、この世のあらゆる美しさと当価値であると言わんばかり。
今生きている僕らは、それらと等しい「自由」の筈"なのに"。
この「なのに」に共感するのは何故だろう。逆に、共感しない人なんているのだろうか?それはどんな状態なんだろうか?
「自由」って、、、「なんだ!?

「自由」が持つ美しい響きは誰もが知っている筈だけど、それを定義出来ない自分にも気付く。
定義出来ないくせにやっぱり「自由の筈なのに」って思ってしまう。。。うーむ。

そんな事をぐるぐると考え始めた所でライブは終了。
畏れ多くも、久住さんやBlue Hipのメンバー、観客としてご来場されてた泉晴紀さんも席を並べる打ち上げ席に参加させて頂き、嬉しくってすっかり飲み過ぎてしまった。

しかし、現実は厳しい。ハッと目覚めたら昨晩の楽しい記憶も朧げに、明確なのは激しい頭痛と再起不能の己の身のみ...。
年に一度二度はやらかす体たらく。会社にごめんなさいして、回復まで寝てしまった。

昼過ぎにはなんとか動けるようにはなったものの、本調子ではないし結局仕事の電話はかかってくるわで、有休とったのにやりたい事は何も出来ないブルーマンデーブルース
あーあ、自由の筈なのになあ。


追伸:
久住昌之さんの新譜『musicomix』が7/24発売。楽しみ~。
某月某日

神谷町の空はよく晴れていた。
6月最初の土曜日『誰そ彼 Vol.21』の当日、御徒町で2軒のカレー屋にふられてしまった僕は、結局神谷町の行きつけの中華屋で冷やし中華を食べる事に決め、信号を待っているとスタッフのサイトウくんも来た。

思わず2人でビールを頼み、イベントに向けて気合いを入れるどころかますますリラックスしてしまった。
今年最初の冷やし中華とビールの組み合わせは最高に旨かった。

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うっかりビールを飲んでしまったものの、みんなのがんばりで恙無く準備は終了し、開場。
涼しげな風が吹き始めた光明寺のテラスでは、飲み物片手に談笑する人々、スパイスの香りにつられお坊さんの作ったベジカレーを食する人、なんとはなしに墓地を見つめる人、それぞれライブまでの時間を過ごしている。

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誰そ彼スタッフが作成したジン『nam』の評判も上々のようでよかった。

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一番手は佐立努さん。持参の小さなアンプをフィードバックさせ、小さなノイズを堂内に広げる。
歌う声は密やかで、メロディーは美しい。
まるで小さなニールヤングのようだ、と思った。
思わず人柄の滲み出る曲間のMCの佇まいにも大きく共感。

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風は段々と涼しさを運び、インドからのお客様を招き入れる。
ディネーシュ・チャンドラ・ディヨンデさんは来日14年のタブラの先生だ。
上手な日本語でタブラという楽器の概要を説明した後は、とにかく叩きまくった。
タブラとは打楽器にしてなんと雄弁に語るのか、と思わせるのは流石の先生の技術故。
お寺にタブラってのはベタ過ぎて今まで考えてなかったけど、当たり前に良い。悪かったら困る。

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ここで一度クールダウン、一年間のインド留学を経て帰国した光明寺僧侶、松本紹圭氏の法話タイム。
インドで「経営」を学んで思い至ったという話は正に誰そ彼ジン『nam』の語る一面と符合した。

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ラストはmoon face boys。
昨年の光明寺大掃除の時、moon face boysのCDRをラジカセでかけたら、スタッフのNちゃんはアルゼンチンの(音響系一派の)人かと思ったそうだ。
誰そ彼の宣伝をすべく小田原FMでmoon face boysをかけてもらった時、インターネット経由のサイマルラジオの妙な音質で聴いたらバシッとキマってたし、辺境のデバイスがマジックを呼ぶらしいmoon face boysの音楽。
やはり光明寺の風景の一部にも溶け込み、親しみの空気で堂内を満たしてくれた。
急遽客演が決まった名古屋のMC HADAさんによる異化にも思わず膝を叩く。

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そしていつもの様にみんなでお経を詠んで終了。
ご来場くださったお客様、御出演者の方々、スタッフのみんな、ありがとうございました。

片付けや打ち上げで各スタッフから聴いた声は、「誰そ彼らしい誰そ彼でよかった。」との事。
"誰そ彼らしさ"の定義はよくわからないが、自分もなんだか凄く「安心」でいられる時間であったと思う。
どうやらその場限りにこしらえられた空間とは思えない。目には見えないけど、まるで地底の水脈のようにどこかで会場の皆さんと繋がっていると思える景色があった。

この日久々に誰そ彼の舞台で法話をしてくれた光明寺の松本君とも話していたように、まずは自分の見渡せる世間がナイスビューである事。その中に居る人たちから見てもナイスビューである事。
そんな機会をひとつでもふたつでも、自分達のできる範囲で作っていく事が今は大切に思えるのだ。
まるで草むしりのように、シンプルで地道だけどたいせつな事。
整えられた庭は何度でもながめたくなる、安心で豊かなナイスビューであるはずだから。

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