2011年5月アーカイブ

某月某日

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インド留学から帰ってきた光明寺僧侶のまつけいと久々に長く話した。
インドの高名なビジネススクールでたくさん勉強してきたのだけど、凄くシンプルな着地をしていて僕が最近思っていた [大事な事] と重なる部分が多かった。

基本的な事をしっかり着実に、見える範囲から。という事でまずは光明寺の草むしり!
これは比喩表現ではなくって実際に彼は帰ってきてから、それまであまりしてなかった草むしりや門前の掃き掃除に精を出しているらしい。

お寺はやはり特殊な場所で、人の心を扱うという側面がある。
法事や墓守などの機能を通して、檀家さんに対して心の「安心」を提供する。
法話や講座により心の「豊かさ」も提供できるだろう。

現在は基本的には『檀家』という家族単位を相手取っているわけだが、そこを『個人』という単位にも開けないかと考えているようだ。
これは神谷町という都心のお寺においては、取り扱ってほしいテーマであると僕も思う。

光明寺には誰そ彼の他にもオープンテラス(お寺カフェ)や寺ヨガなど、まつけいが導いて形づくった活動がいくつか続いている。
心の「豊かさ」を個人単位に提供できるインターフェースは既に仕込まれているというわけだ。

心の「安心」については彼のお坊さんとしての手腕が問われる部分であるが、そこはこれからの勉強だと言っていた。

インドでみっちり勉強して、さあ何をやるつもりなのか!?なんて構えていた部分がなくもなかったけど、色々と知ったからこそ既に持っているものを見つめ直して「これで大丈夫」と思ったんじゃないかな。

勿論、そういう機会や機能は増えていくに越した事はないんだけど、やはり規模もある。
一気に全員が救えるどえらいシステムなんて作れるわけがない。そりゃ仏様だ。

だからこそ自分の見える範囲から、家族、友人、友人の友人、友人の友人の友人、、
そんな規模の"世間"の「安心」や「豊かさ」の手助けとなれるように、誰そ彼も光明寺というプラットフォームで機能し続けていきたいと強く思った。

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まずは日々の草むしりみたいなことが大事なんだな。
某月某日

 - 『nam』創刊に寄せて

誰そ彼はこれまでライブイベント企画とあわせ、スタッフたちによる執筆活動も行なってきた。
媒体は会場で配るフリーペーパーや不定期発行のメールマガジンだ
前者も後者もイベントにまつわる"ふろく"のような気持ちでいながら、どこかで共感を得られれば幸いというスタンスで取り組んできた。
それらの活動の発展系としてこの度、誰そ彼のジンを創刊する事にした。

ジンとはZINE、個人発行の紙媒体のことで、所謂ファンジンや同人誌のようなもの。
タイトルは『nam』。これは"日本オルタナティブマガジン"の略で、このジンのテーマそのものを表している。

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人が活力を持って生きていくのに必要な要素はなんといっても「興味」だと思う。
興味がある時はワクワクして行動的になれる。
逆に、何事にも興味がない時はルーチンワークのように日々が過ぎていくだけになってしまう。

日常の中で僕らの興味を誘おうとしているものはたくさんあるけど、すぐ目につき手に取り易いのは大抵、資本にコントロールされているもののようだ。
それはこの日本においてはごく自然な事で、悪い事ではないと思う。
だけどそのガイドは僕たちがお金を支払った時点から徐々にフェードアウトしてしまう事が多く、
手に入れたものは何時の間にかタンスの奥にしまい込まれて残念ながら忘れ去られるケースが少なくない。

また、より大多数へのフィットを求めるが故に、価値観が画一化しているのも難点だ。
人によっては選ぶ対象にすらなっていない場合も多々あるのかと思う。

「オルタナティブ」という言葉は「もう一方の」といった意味合いを持ち、
90年代以降に「オルタナティブカルチャー」「オルタナティブミュージック」のような
キーワードとして使われてきた。

この場合、「もう一方の」とは先ほど挙げた資本経済、企業による支配的文化の外を示すと僕は解釈している。
際限ある価値観の元で、無理に「興味」を選択して日々を送るのではなく、
「もう一方の」視点から文化、社会、そして自分を見直してみた時に浮かび上がる「興味」を選択すること。
消費社会が進みきってしまった今では、特にたいせつな事ではないかと感ぜられるのだ。

僕たちがイベントを行なわせて頂いている「お寺」、ひいては「仏教」というものは
ある種そういった「もう一方の」視点を人々に提示してきたのだと想像する。
伝来当初、外来のモノである仏教は、確実に「もう一方の」ほうだったんじゃないかな。
それはきっと今でもそう。身近なお坊さんたちの話を聞いたり歴史の本を読んでいると
仏教についてあまり詳しくない僕でも「そうだ」という実感がある。

誤解を恐れずに言うならば、仏教はオルタナティブなものなのだ。

お寺がご縁で集った仲間達が、音楽がご縁で来られたお客様と
「もう一方の」視点を共有する。新しい「もう一方」を発見する。
そんな目的を掲げて誰そ彼の仲間たちと、『nam』を発進させようと思う。
我流の素人集団が運営するイベントであり、そしてジンなのでお見苦しい点も
あるかと思うが、多くの方にご参加頂ける袋となり、それぞれの「もう一方」を共有する機会として活用できればと願っている。

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『nam』 no.0 創刊準備号
発行日:6/4(土)
価格:¥100
(誰そ彼 Vol.21会場にて頒布)
http://www.taso.jp

発行:誰そ彼
編集:斎藤遥
執筆:誰そ彼スタッフと仲間たち

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