僕らが旅に出る理由

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某月某日

『お寺の音楽会 誰そ彼』というイベントを東京 神谷町の光明寺さんで開催するようになってからもうすぐ8年が経つ。
元々、お寺や仏教とはご縁の薄かった自分であるが8年もお寺の周りをうろちょろしていたせいか、ここ数年は仏教に対して愛着のような思いがある。
信仰と称するにはおこがましいような、恐縮してしまうような小さな思いであるが、前には無かった仏教由来とおぼしき視点が備わったのだ。と言ったらそれは少し大袈裟かもしれない。

以前にこれを「好きな球団を得た心境」と表現してみたところ、僧侶を含む友人数名の共感を得る事が出来た。この表現がやはりしっくりとくる。
詳しく始めると長くなりそうなので今日は此処迄にしておくが、そのうち語り出すかもしれない。

先日、NHKのTV番組『日曜美術館』で平山郁夫さんの特集をやっていた。
平山郁夫さんについては名前を知っていた程度で、偶々チャンネルを廻しただけのはずがなんとも引き込まれて最後迄見てしまった。
諸星大二郎さんの西遊記を題材にした漫画『西遊妖遠伝』を愛読している僕は、シルクロードや玄奘三蔵に密かな興味を抱いていたのだ。

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TV番組の中で、アフガニスタンで内戦のうちに盗難されてしまった、仏伝図「カーシャパ兄弟の仏礼拝」という作品が流れて今は日本にあるのだと知った。
仏教伝来と同じように、シルクロードの最果ては日本ということか。

僕が本や絵や映画の中のイメージを膨らまして空想するしかないような時代や、遠くの場所に生きる人々の暮らし。生きていく頼りとしての信仰がとても大切な人々。そんな人々が発する思想や、表現する芸術はとても強烈にみえる。
または、芸術や文化なんて思いもよらない時代や場所に生まれる人々も居る。
そんな人々こそ、更に強い祈りを秘めていそうだという気もする。

自分は信仰がなくても生きている。信仰は後天的な場合も多くあるだろうが、時代や人種や国や社会や家など広義での「生まれつき」に拠る部分が大きいのだと思う。
仏教では両者をとりまとめる便利な言葉もあると学んだが、僕のご縁は今の所は「好きな球団を得た心境」があるのみだ。

絵を眺める時、音楽を聴く時、本を読む時、ふと自分の立ち位置を確認したくなった時は「好きな球団」を思い出してみる。
この心境をもってして件のシルクロードに思いを馳せた時、遥か天竺に向けて旅立った玄奘を突き動かした衝動とは何だったのだろう?という問いが頭をもたげてきたのだ。

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このページは、管理者が2011年2月13日 23:01に書いたブログ記事です。

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