2011年2月アーカイブ

某月某日

以前、saara trio として誰そ彼にご出演くださったベースの松永誠剛君の呼びかけでちょっと遅めの新年会が催された。
同じく saara trio や Kenji Ikegamiさんのバンドメンバーとして2度誰そ彼で鍵盤を弾いてくださったピアノのsaaraさん、そしてSawada+Haradaというユニットでご出演後も外国人出演者のアテンドなどで大変お世話になっている原田君、誰そ彼のPAをずっと担当しているFlysoundの福ちゃん、等など僕と同年代のメンバーが集まった。
昨年11月の『音泉温楽2010』でも同メンバーが集結した事があったが、その時は場所も相俟ってかまるで修学旅行で他校生とつるむようなワクワク感を覚え、それ以来また一緒に酒を飲むのを楽しみにしていたのだ。

他にも、誠剛君繋がりのミュージシャンや音楽関係者が集い、京急蒲田駅に程近いカウンターだけのお店がいっぱいになった。
料理が驚くほどおいしいこのお店『侍』も、誠剛君のご縁のあるお店で初めてなのにとても居心地が良い。"ここじゃなきゃだめ"感をひしひしと感じた。
一番奥の席から、店の中のなんとも幸せな光景をにやにやと眺めていると、其処此処で交わされている話も其々おもしろそうだ。

IMG_7513.jpg

僕はPA福ちゃんと原田君と、お寺の構造あるある話をした。
おこがましい事承知の上で発言すると、光明寺の本堂はなんというかライブ向き。
所謂ステージ領域を設け、両脇にスピーカーを配置、そこから聴衆の座れる領域が充分に取れる。謂わばライブハウス的構造なのである。
光明寺に限らず、他のお寺にお参りした際も、僕はついついそういう視点で本堂を見てしまうが、福ちゃんは光明寺以外のお寺さんでもPAの仕事があるので余計実感があるようだ。

二人の共通の意見としては、光明寺のようなライブ向き構造のお寺というのは意外に少ない。
聴衆の座れる領域が寸足らずの場合が多いのだ。
仏様が色んな角度から見れるようにとの配慮なのか、せり出しており「余間」という左右のスペースにも座れるようになっている、コの字カウンター的構造が多い。
"音楽を聴く"という観点からすると、スピーカーの配置や演奏者の立ち位置などが難しい。

勿論、お寺の本堂は元々そういう観点では設計されていない。
福ちゃんなんかは、だからこそうまくやってやろうという面白さはあるかもしれない。天井の構造や壁の材質などは、ライブハウス等には無い特色があるわけだし。

僕は、お寺に"コの字カウンター的構造"が多いという点に思い至ったのが可笑しかった。
今日のような小さなお店によく見られるコの字カウンターは、ご主人ひとりで切り盛りするための作りといえよう。
全てのお客さんが視野に入り、注文を聞き易い、そして料理を出し易い。
これって、正に仏様のメソッドと似てる。人々をみておられ、人々から聞き、そして手をさしのべる。
お店では唯一の存在であるご主人と、お寺で唯一の存在である仏様。
どちらの方も、はたらきやすいようにその仕事場が整えられているという事か!
なんて考えながら、カウンター内で良い香りのつみれ汁を椀によそっているご主人を見た。

IMG_2137.jpg

※写真は誠剛君のアフリカ土産。「AFC48」ポスター。ガムで壁に貼られていたらしく4隅がべとつく。
某月某日

三鷹にあるおんがくのじかんというお店でmoon face boysのライブを観た。
moon face boysとはmy pal foot footの竹下慶さんのソロユニット。アコギとバンジョーの弾き語りで、まるで起きぬけのビールのような眩しい黄金色の倦怠感が、妙に居心地の良い歌を歌ってらっしゃる。

IMG_5463.jpg
ご近所にお住まいのshibataさんも見に来られてて一緒に楽しんだ。
shibataさんも竹下さんも以前誰そ彼にご出演頂いた事もあり、なんだか会うといっつも一緒に酔っ払ってしまうので、この日も結局終演後は三鷹の居酒屋へ。

ライブの感想や、好きな音楽の話をしながら、生茶葉ウーロンハイの杯がいくつもあけられ、夜も更けていくが話は尽きない。
その中で「やっぱ、現場ですなあ。」という話になった。音楽をやっているお二人にとっての現場とは、この日のようなライブのこと。この"現場感"というやつは僕もすごく大切だと思う。

音楽を「シェア」する、なんていうとイマドキはファイル共有の感じがして好きではないが、(CDやレコードは所有してなんぼと思う)
誰そ彼はお寺で音楽をシェアしたいという気持ちで始めたイベント。
最初はライブをする予定も無くって、本堂でみんなの好きなレコードをかけて、持ち寄ったご飯やお酒を楽しもう、そういう趣旨で企画された。
たまたま第一回目から演奏してくれる友人がいたので、ライブイベントになったけど、そのおかげでレコードには載っていない音楽も共有できるようになった。

そこからゆるゆると繋がり広がっていくご縁を伝って出会う様々な人と新たな現場をこしらえる。
同じ方向を向いてるってだけで、前から気になっていた人と出会えたり、久しぶりの人と再会も出来る。
この日のshibataさん、竹下さんは正にそんな感じで、今二人と飲んでいるのがとても不思議な気分だ。

それで「やっぱ、続けていくことですなあ。」なんて話も。

3767.jpg
某月某日

土曜日、10時50分に家を出て寒風の中ラーメン屋に向かって自転車をこぐ。
向かう先は「中華そば みたか」である。ここは古くから三鷹にあるラーメン屋「江ぐち」が一度閉店した後に、のれんわけをして同じ場所で再スタートしたお店。
2007年に誰そ彼にご出演くださった久住昌之さんが昔からの常連で『小説 江ぐち』なる本を出しておられて、僕はその繋がりでお店を知り近所なのでたまに行くようになった。

o0448033610643032757.jpg
ワンタンメンが好きで、そこに竹の子(メンマ)と、もやしのトッピングが好み。
更に贅沢にたまごも頼むと、麺を茹でる鍋に卵を落としてくれて半熟の状態で出してくれる。
これがまたウマいのだ。

代替わりしてガタイの良いお兄さんが二人でカウンターに入っているが、忙しく手を動かしながらも凄く丁寧に接客をしてくれる。
地元のお客さん達もお店が大好きで、店内のムードがいつも凄く朗らか。
土曜日のお昼はここのラーメンを食べるとすごく幸せな気分になる。

平日は仕事も遅いので、吉祥寺駅を降りてパッと夕飯を済ませてしまう。
時間的に空いている所も少ないし疲れているので「ここでいいや」と思って、安くて早い店で食べる。働いている人も、食べにくる人もみんな「ここでいいや」の心境。
だから客が店員にイライラしてたりして、そんなのを見て嫌な気分になって入るんじゃなかったと、ウンザリする事がしばしば。
とはいえ、便利なのでまた行ってしまう。

お店の用途は様々あるから仕方の無い事だけど、折角お金を払って外食するならば「ここでいいや」じゃなくって「ここじゃなきゃだめ」、なお店になるべく行きたい。

中華そば みたかは正に「ここじゃなきゃだめ」なお店。
働いている人も、食べにくる人もみんな「ここじゃなきゃだめ」の心境。
少し店内が狭くってもみんな肩を寄せ合ってカウンターに並んで、ビールも飲めるけど行列に遠慮してさくっと飲んで麺をたぐって帰る。
基本的に誰もなんも言わなくても秩序が保たれている。
それは別に、店主がガンコ親父だからとか、常連が怖いからだとかそんなことじゃなくって、「ここじゃなきゃだめ」な雰囲気がそうさせているのだと思う。
作る側も、食べる側も、その雰囲気を共有しているから全てが律されている。

そんな事を思いながら食べていたら、隣のおじちゃんが「お勘定!」千円札を出して、「お釣りはいいから」と言う。
僕は横で、「ここじゃなきゃだめ」精神がそうさせるんだなぁ、なんて頷いて楽しみにとっておいた半熟たまごをつぶしにかかった。

708090

| | コメント(0) | トラックバック(0)
某月某日

ふとしたご縁で1年間くらい誰そ彼のスタッフをしてくれていたポルトガル人のダニエル君からFacebookで久々に連絡があった。
ICUを出てシンガポールで働くと言っていたが、今はヨーロッパ方面に居るとの事。元気で何より。
しかも、日本を離れても、日本の70年代の音楽が大好きで、細野晴臣や森田童子なんかを聴いているそうだ。

彼は2009年に長野の渋温泉で開催されたライブイベント「音泉温楽2009」にもスタッフとして一緒に参加してくれた。
その際に出演していた渚ようこさんのライブがえらくお気に入りだったらしく、その時の動画から「この曲は誰の曲か?」という質問をされた。
昭和の歌謡曲のようだが、知らない曲だったのでインターネットで調べたところ、中島みゆき作曲の『世迷い言』という曲である事がわかった。
元々は日吉ミミに提供した曲だそうで、Youtubeにこの映像があがっていた。


僕は79年生なので、ムー一族はよく知らず、ドリフもぎりぎりの世代だ。でも、土曜日にドリフを見るのが楽しみであった記憶はある。
この映像を見てしばらくノスタルジーに浸ってしまった。

こういうのが好きなんて変なポルトガル人だなと笑ったが、彼の母国語に「サウダージ(郷愁)」という言葉があるのを思い出し、案外こんな感じで世界共通なのかもな、と思ってまた笑った。

その数日後、BSでキャロル・キングとジェイムス・テイラーの2007年のライブを見た。
「出来る限り70年代の時にようにやろうとしている。」なんてMCを挟みながら、リラックスしたムードで演奏が進む。
二人とも結構いい歳だとは思うが、凄く上品に歳をとっている感じで安心して見られた。


ジェイムス・テイラーのフォーク~カントリー経由の乾いた風と、キャロル・キングのしっとりとしたピアノバラード、
時にソウル・フィーリングを増した熱い演奏や、二人のハーモニーを聴かせる楽曲もありとても楽しんだ。流石の円熟。

90年代に10代を過ごした僕には、「70年代のものはいい」という勝手なイメージがある。
リバイバルとかの関係なんだろうか。60年代は遠い昔のように思えるし、80年代はなんとなく覚えているから、70年代に憧憬を抱いてしまうのか。
だけど、ダニエル君に「遠藤さんは90年代好きですよね」なんて言われたのは図星で、90年代が大好き。00年代はどう読んだらいいのかわからないし、思い入れが無い。
以上から、人のサウダージの季節は「生まれる前10年間」と「生まれた後の20年間」で決まり、って事でどうだろうか。
某月某日

犬の散歩のつきあいで、石神井台から武蔵関公園を抜け東伏見まで歩いた。西部新宿線から見える駅前のあの大きな鳥居をくぐってみたかったのだ。
くぐって歩いたらすぐにお社があるのだろうと思っていたら、全然見えてこない。
鳥居しかないなんておかしい、と地図を見たところ東伏見稲荷は少し離れた場所にあった。

住宅街のように見えて、よく見ると酒屋や乾物屋やらの商店も見える通りはは参道の賑わいも見られたのだろうか、今は少し閑静で和む通りとなっている。
諸星大二郎先生の『栞と紙魚子』に出てきそうな、妙な形の木ばかり目立っている。
昨日までの雪が一転して快晴のこの日、軒先の小さな雪だるまもかわいらしい。

昔ながらの乾物屋の前では小学生の女の子5名が元気に遊んでいた。地面に映り込む自らの影で「L・O・V・E」を作る練習をしている。
V役の子は頭が邪魔と言われ、ひっこめるのは無理よ!なんてやり取りが微笑ましい。
明日はバレンタインデーだ。

その道を折れてすこしいくと、おっきく鮮やかな鳥居が見えた。朱色のサンプルみたいな色をしている。犬はカバンに隠して、お邪魔する。

0213.JPG
階段を登ると、晴天になんとも映えるきらびやかなお社が見えた。立派!
狐様にご挨拶して手水場で手を洗い、神社の由来を読む。祀っている神様を知る。境内はテープで雅楽が流れており、なんとなく正月気分が残っている。賽銭を投げ拍手を打った後は、お守りと絵馬をチェック。そして境内をぐるり散策だ。
寺社仏閣参りは楽しみがいっぱい。

奥には、京都の伏見稲荷の千本鳥居の縮小版が展開されていた。
昨年の大晦日の大雪の中、京都の伏見稲荷の千本鳥居にお参りをしてきた記憶が蘇る。あそこまでベラボーに広くは無いが、西東京市の住宅街の一角と思うと充分に異界だし稲荷さん参りとしての機能は充分に整えられている。
京都の方をアナログレコードだとすると、こっちはCD紙ジャケ復刻版といった佇まいである。

実際、昭和のはじめに京都の伏見稲荷を東京へ勧請し、この稲荷が建てられたそう。その際に地名も「東の伏見」って事で、東伏見と改められたようだ。
東はここで、西は京都、と考えると、伏見の地名はスケールがでかい。

江戸の頃は富士信仰が流行って、各地に富士山のミニチュアが築かれたわけだけど、ここもなかなか京都までお参りにいけない稲荷ファンの為に作られたのだろうな。
お布施で名入りののぼりとか鳥居とか、ちょっとわかる気がしてきた。

帰りも同じ道を辿り、よさげなパン屋でパンを買う。
その間、犬と二人で店の外で待っていると、先ほどの小学生たちが通りがかり「あっ、さっきの犬だ!」なんて声をかけられ、またも長閑な気分になった。
なかなかいい街、東の伏見。

そしてこの時季はまだまだたそがれ時は寒いだろうからと早めの帰途を行く。

このアーカイブについて

このページには、2011年2月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

次のアーカイブは2011年3月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。