テラー・トワイライト / tasogare staff blogでタグ「音楽」が付けられているもの

東京の街が奏でる

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"旅から来た者帰った者が、自分しか知らない外部の事実を語ることで、これは近年ますます多くなっている"

"珍しい客がよそから来た時なども、珍しいからなるだけのその客に話をさせます。こういう話を世間話といいますが、世間というのは元は土地より外という意味でありました。
ところが昔の人たちは、余り広くその世間を知りませんでした。本も乏しく新聞もなく、旅行もそうたびたびはしなかったからであります。"



上記は柳田國男の『なぞとことわざ』という本からの引用だが、僕はこの本が大好きでもう何度も読み返している。
少し昔の、それこそ夕暮れ時を「誰そ彼」なんて呼んだりもした時代の人々の言語コミュニケーションや、ツールとしての言葉の使われ方が生き生きと描かれている。

特に気になるのが、先に引用したような外の世間からやってくる言葉やお話と、人々とのスリリングな邂逅の部分だ。
この本の中ではその箇所はあまりズームアップされないのだが、当時はそういう瞬間が稀にあったはずで、それはきっと今の時代には思いもよらない刺激的なものだったのだろうと想像する。

小沢健二のここ数年の著作『うさぎ!』や『企業的な社会、セラピー的な社会』、展覧会『我ら、時』、そしてライブツアー『ひふみよ』、『東京の街が奏でる』、これらを体験して思うのは『なぞとことわざ』の時代の村人たちの気分だ。
例えば、『東京の街が奏でる』での演奏の合間には「モノローグ」と名付けられた、小沢健二による世間話が挿入されていたが、これがもうほんとに世間話。
インド映画のオチについての話や、ネパールの変わったボディランゲージの話とか、広く世界の土着的な世間話。
『なぞとことわざ』の時代から比べるとこれだけ情報化が進んで、外の世間との往来も容易になったというのに、相変わらずびっくりするくらい文化や習慣の違いは存在し続けている。
僕たちにもまだまだ新しい世間話を待望する余地があるという事がわかる。

同時に僕らの世間は今現在あまり明るくないという事も思い出すけど、まだ知らない様々な世間話の中に、様々なヒントとなるような知恵や視点が詰まっているらしい。

それは古くからあることわざやなぞかけと同じようなこと。
この頃の小沢健二は、そんな事を教えてくれる語り部の様に見えるのだ。


追伸:
今回のツアーでは『LIFE』というレコードが全曲演奏され、(前回は日本語に置き換えられていた)「LIFE IS COMING BACK!」というフレーズが高らかに歌われた。
『LIFE』は18年前に作られ、その当時の東京の街の空気が詰め込まれている。聴き返してみると少し幻想的に感じられる。
フォークロアかファンタジーかと思える公園通りや東京タワーやいちょう並木の匂いがよみがえってきて、少し心がざわざわとしてしまった。

18年後、今の東京の匂いをどんな風に思い出すのだろう?

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L.I.F.E.G.O.E.S.O.N

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某月某日

仕事を終えて吉祥寺サムタイムへ急ぐ。
平田王子さんのライブがあるのだ。

そもそも、このライブに伺うのは奇妙なご縁である。

話は2月に遡る。
蒲田にて松永誠剛くんが開いた新年会に参加し、帰り道が一緒だった初対面のSさんと、たまたま渋谷毅さんの話で盛り上がった。

Sさんはキングインターナショナルにお勤めで、ちょうど渋谷毅さんと平田王子さんのデュオ作のCDを手がけられているとの事。
渋谷毅さんは昨年誰そ彼にご出演頂いている。
何より、お互いが渋谷毅さんの大ファンであるという点で共通していて、意気投合した。

寡聞ながらに、平田王子さんの事は存じ上げなかったのだけど、しばらくの後にSさんからライブのお知らせを頂いたのだ。
勿論ピアノは渋谷毅さん。

2nd set開始ギリギリの時間に階段を駆け降りるとまだ演奏は始まってなかった。
通された席はピアノの真上。左耳真正面にスピーカーがあるというベストポジションだ。

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平田さんの歌声とギター、いぶし銀のミュージシャン達の演奏。
あまりにも当たり前に、日常的に、美しく鳴らされている音楽は、きっとずっと前から変わっていなくて「ここはいつも通りですよ」と囁きかけられているような気がした。

東京に暮らしていたって、突然漠然とした不安感に襲われる事があり、それはあまりにもランダムだ。
仕事や生活は途切れなく続いているんだけど、たまたまの何かが時に妙にひっかかって暴力的に響いて、妙にネガティブな気分がやって来る。

この日も実はそんな気分が堪えていた所だったが、鍵盤にそっと置かれる渋谷さんの手や、平田さんの鳥のさえずりの様な歌声、アルトサックスの鈍い金色、そしてジョビンやノラジョーンズなどのよく知ったメロディー達に包まれて、「まだ大丈夫」と落ち着く事が出来た。
根拠はなくたってこの安堵は実感で、今はより多くの人と共有したい雰囲気だと思った。

帰り際に渋谷さんにもご挨拶が出来た。
「お寺のイベント、雨が降ったよねえ。台風の日だ。」なんて覚えてくださっていて、いつもの柔らかい表情にすっかり気持ちがほだされてしまった。
今日サムタイムに来てよかった。

以前、サワサキヨシヒロさんと飲んだ際
ボサノヴァはそもそもサンバをやりたい様な人種が、グッと抑えてストイックに徐々に高揚感を高めていく音楽なんです。」
と仰られていて、成る程と思った。
帰りのタクシーでそんな言葉を思い出して、なんだか今の空気にぴったりの音楽なのかもしれないな、と一人合点がいってしまい、思わずキングインターナショナルのSさん、そして平田王子さんご本人にもメールを送った。

こうやってご縁が広がっていくのは、本当に嬉しいし、たのしい。

オーディナリー・デイズ

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某月某日

生憎の雨だったが、東京都現代美術館のレストランcontentには多くの人が集まった。

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元々は、ミュージシャン3名とPA1名、そして僕の5名がただ集まり話そうという会のはずが、あれよという間にイベントになった。
既存のイベントに相乗りさせてもらった形ではあるが、雨というのに予想以上の人が来たので嬉しかった。
演奏も全部良かった。
あまりにジャンルがばらばらでcontentならぬ「混沌」という感じで、「秩序」に向かう出発点としてはバッチリだ。

今は個人個人が必死に再構築を行っている時期だと思う。
「再構築」だけど、構築後の自分は前とは必ず違う自分。
こんな時だからこそ、多くの人と出会ったり再会したりして、刺激や興味や情報を共有したほうがいい。
自粛傾向もわかるけど、もっと人が出会える場がどんどん作られたほうがいい。

だから今回の瞬発力は良かったと思うな。
トリガーとなってくれた、松永誠剛くんに感謝。

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やってみてわかった事。ひとつはこんな中だけどやればみんな集まるという事。
ふたつめは、地震の事を少しでも忘れられる瞬間はやってくるという事。
みっつめは、やっぱり電気で増幅した音は気持ちいいという事(笑)

僕も微力ながら転換DJをさせてもらったが、大きい音でディランの「北国の少女」や渋谷毅オーケストラの「Soon I will be done with the troubles of this world」なんかを聴いてなんだか高揚した。安心もした。

今回、場所や機材だけでなくスタッフ達の賄いまで用意してくださった(おいしかった!)懐の深いcontentさんにも感謝の念。ありがとうございます。

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あそこに集まって、出会った人たち、再会した人たちが、共有できたものを各人の現場に持ち帰ってフィードバックして、再構築へ繋がる何かが始まるといいな。
自分も今度は誰そ彼の仲間達と、話して共有しようと思う。

追伸1:
松永誠剛君による、同日についてのブログエントリー。

追伸2:
この日の出演者で、僕が久々に再会したホテルニュートーキョーの鍵盤の中村ケイサクさん。
彼が参加しているtoeというバンドが、ダウンロードのチャリティーシングルをリリースしています。
静かで、熱くて、とても良い曲なのでおすすめです。
「一日でも早くみんなが普段の日々=Ordinary Daysに戻れるように。」

青年は荒野をめざす

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某月某日

三鷹にあるおんがくのじかんというお店でmoon face boysのライブを観た。
moon face boysとはmy pal foot footの竹下慶さんのソロユニット。アコギとバンジョーの弾き語りで、まるで起きぬけのビールのような眩しい黄金色の倦怠感が、妙に居心地の良い歌を歌ってらっしゃる。

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ご近所にお住まいのshibataさんも見に来られてて一緒に楽しんだ。
shibataさんも竹下さんも以前誰そ彼にご出演頂いた事もあり、なんだか会うといっつも一緒に酔っ払ってしまうので、この日も結局終演後は三鷹の居酒屋へ。

ライブの感想や、好きな音楽の話をしながら、生茶葉ウーロンハイの杯がいくつもあけられ、夜も更けていくが話は尽きない。
その中で「やっぱ、現場ですなあ。」という話になった。音楽をやっているお二人にとっての現場とは、この日のようなライブのこと。この"現場感"というやつは僕もすごく大切だと思う。

音楽を「シェア」する、なんていうとイマドキはファイル共有の感じがして好きではないが、(CDやレコードは所有してなんぼと思う)
誰そ彼はお寺で音楽をシェアしたいという気持ちで始めたイベント。
最初はライブをする予定も無くって、本堂でみんなの好きなレコードをかけて、持ち寄ったご飯やお酒を楽しもう、そういう趣旨で企画された。
たまたま第一回目から演奏してくれる友人がいたので、ライブイベントになったけど、そのおかげでレコードには載っていない音楽も共有できるようになった。

そこからゆるゆると繋がり広がっていくご縁を伝って出会う様々な人と新たな現場をこしらえる。
同じ方向を向いてるってだけで、前から気になっていた人と出会えたり、久しぶりの人と再会も出来る。
この日のshibataさん、竹下さんは正にそんな感じで、今二人と飲んでいるのがとても不思議な気分だ。

それで「やっぱ、続けていくことですなあ。」なんて話も。

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某月某日

ふとしたご縁で1年間くらい誰そ彼のスタッフをしてくれていたポルトガル人のダニエル君からFacebookで久々に連絡があった。
ICUを出てシンガポールで働くと言っていたが、今はヨーロッパ方面に居るとの事。元気で何より。
しかも、日本を離れても、日本の70年代の音楽が大好きで、細野晴臣や森田童子なんかを聴いているそうだ。

彼は2009年に長野の渋温泉で開催されたライブイベント「音泉温楽2009」にもスタッフとして一緒に参加してくれた。
その際に出演していた渚ようこさんのライブがえらくお気に入りだったらしく、その時の動画から「この曲は誰の曲か?」という質問をされた。
昭和の歌謡曲のようだが、知らない曲だったのでインターネットで調べたところ、中島みゆき作曲の『世迷い言』という曲である事がわかった。
元々は日吉ミミに提供した曲だそうで、Youtubeにこの映像があがっていた。


僕は79年生なので、ムー一族はよく知らず、ドリフもぎりぎりの世代だ。でも、土曜日にドリフを見るのが楽しみであった記憶はある。
この映像を見てしばらくノスタルジーに浸ってしまった。

こういうのが好きなんて変なポルトガル人だなと笑ったが、彼の母国語に「サウダージ(郷愁)」という言葉があるのを思い出し、案外こんな感じで世界共通なのかもな、と思ってまた笑った。

その数日後、BSでキャロル・キングとジェイムス・テイラーの2007年のライブを見た。
「出来る限り70年代の時にようにやろうとしている。」なんてMCを挟みながら、リラックスしたムードで演奏が進む。
二人とも結構いい歳だとは思うが、凄く上品に歳をとっている感じで安心して見られた。


ジェイムス・テイラーのフォーク~カントリー経由の乾いた風と、キャロル・キングのしっとりとしたピアノバラード、
時にソウル・フィーリングを増した熱い演奏や、二人のハーモニーを聴かせる楽曲もありとても楽しんだ。流石の円熟。

90年代に10代を過ごした僕には、「70年代のものはいい」という勝手なイメージがある。
リバイバルとかの関係なんだろうか。60年代は遠い昔のように思えるし、80年代はなんとなく覚えているから、70年代に憧憬を抱いてしまうのか。
だけど、ダニエル君に「遠藤さんは90年代好きですよね」なんて言われたのは図星で、90年代が大好き。00年代はどう読んだらいいのかわからないし、思い入れが無い。
以上から、人のサウダージの季節は「生まれる前10年間」と「生まれた後の20年間」で決まり、って事でどうだろうか。

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