テラー・トワイライト / tasogare staff blogでタグ「誰そ彼」が付けられているもの

Niji

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某月某日

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まもなく、2012年7月19日で『お寺の音楽会 誰そ彼』は10年目に突入する。
丸9年をぼんやりと振りかえってみて思う事は、「たくさんの人と出会ったなあ」という事だ。
イベントとして、多くの仲間や、ご出演者、そして来場くださる方々にとても恵まれているとつくづく実感する。
そして寛大にもこのようなイベントを開催させてくれている光明寺のみなさん。本当に感謝に絶えないです。
みなさん有難うございます。

イベントが続けられている事に対する感謝の思いがあると共に、一個人として『誰そ彼』の存在に感謝する思いがある。
『誰そ彼』の活動で得られる、仲間たちとの共感、出演者たちとの共感、ご来場の方々、そして仏教への共感は、何時の間にやら僕個人の人生の豊かさと密着していた。
自分のパーソナリティーを自己分析すると、『誰そ彼』以上に共感を得られる世間は無いのではないかと思う。
本当に有難いご縁だ。

世の中に、こんな気持ちの人があと100人増えたら、生き苦しい世の中由来によるいくつかの社会問題は緩和されるのではないか?と本気でちょっと思う。

少なくとも、光明寺さんの『誰そ彼』や『オープンテラス』の活動で大小あれど人生の豊かさみたいなものを享受されている人は、僕から見える範囲だけでも結構居る様に思う。
そして各々環境や事情は違えど、この「お寺」という施設は日本全国にコンビニよりも多い数で存在しているのだ。

(誤解を恐れずに)"お寺を利用させてもらっている身"としては、「ここにお寺の可能性があるんですよ!」と声を大にしたい。

だからこれから、この9年とそして10年目以降、僕が体験しているプロセスや、得られた結果をどんどん外へ発信していきたい。
それは光明寺さんや仏教への感謝であると共に、これから自分が担っていく使命のひとつかもしれないなと感じ始めている。

そんな思いも込めつつ、超宗派仏教サイト『彼岸寺』のインタビューに応えさせてもらった。
これを読んでくださった方が、僕たちのこの9年間のプロセスや成果を少しでも読み取って頂けたら嬉しいなあ。

【Interview】
・『彼岸寺』仏教はオルタナティブである/「誰そ彼」10周年記念 インタビュー
http://www.higan.net/news/2012/06/10.html


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某月某日

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2012年5月19日開催の誰そ彼  Vol.24の告知用フライヤーが届いた。デザインしてくれたのは僕の高校以来の友人K君だ。
誰そ彼創始メンバーの一人で、開始後数回の誰そ彼フライヤーは彼の手による。
 
ある時彼は、デザインの勉強をする為に英国へ留学し、それからなんとなく連絡が途絶え、疎遠となってしまっていた。 
 
考えてみたら、光明寺の僧侶になる前の東大生の松本圭介君と僕が知り合ったのは彼の引き合わせだった。
彼の誘いで松本くんの主催していた学生サークルに入って、音楽イベント開催の経験をしたり、今にまで至る仲間達との縁を紡いだ。
つまり彼が居なければきっと、誰そ彼はなかったんじゃないかな。 
 
彼と僕の出会いは高校時代、共通の友人づてに「音楽の趣味があいそう」という事で紹介された気がする。   
確かベックやビースティーボーイズやニルヴァーナの話で盛り上がり、「アタリティーンエイジライオットってすごい変なバンドがいてさ、、、」なんて話をした記憶がある。90年代真っ只中のハナシ。
 
それから僕らは一緒に色んな場所へ行って、くだらない話やマジメな話をしたり、音楽を聴いたり映画を見たり、とにかく感性を共有した。 
その空気感は今でも『誰そ彼』というイベントの中に流れていると思う。 
 
本当なら留学から帰ってきたらすぐにまた合流するつもりだったけど、色んな思い違いや仕方ない事情で彼は合流しなかった。
僕もずっと気になっていたけど、無闇に動いても意味がないような気がして、時を待っていた。
 
「待っていた」とはいっても、別に再会できる確信があったわけではない。このままずっと会えない未来のほうが想像に容易かった。
 その間、僕に出来たのは光明寺で『誰そ彼』 という旗を掲げ続ける事だけだった。 

だからある日突然彼が連絡をくれて再会して、今またフライヤーを作ってくれるなんて夢みたいだ。   
でもこれは嬉しい現実。印刷されたフライヤーはちゃんと我が家と光明寺に届いた。 
それを今日からみんなで配って、それを偶然手に取ってくれた人達が5/19に光明寺を訪れるのだ。   
   
- K君のカムバック。
僕は、やはり全ては正しい場所におさまるのだ、と思う。   
それがつまり、ご縁というものなのだろう。

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お寺の音楽会 『誰そ彼 Vol.24』

日時:2012年5月19日(土) 17:00~21:00
場所:梅上山 光明寺(東京 神谷町)
http://www.komyo.net/
料金:1,000円 with 1ドリンク
※ 今回はご予約制ではありません。当日、どなたでもご入場頂けます。

 出演:
 [Live]
・Nils Berg Cinemascope (from Stockholm, Sweden)
http://www.nilsbergcinemascope.com

・Saara Trio
http://soundcloud.com/saara/saara-trio-fly-high-live-in-tokyo-at-komyo-ji

[法話]
・木原祐健(浄土真宗本願寺派/神谷町オープンテラス店長)
http://www.komyo.net/kot/

[PA]
・Fly sound
http://www.fly-sound.com/

[選曲]
・Busse Posse DJ's

[Food]
・料理僧 KAKU (彼岸寺/暗闇ごはん)

 [Drink]
・神谷町オープンテラス
http://www.komyo.net/kot/

 [more info]
・お寺の音楽会 誰そ彼
http://www.taso.jp

ドゥ・ユア・プロミス

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某月某日

昨晩未明より降り続く雨の中、新木場の田口さんの所に誰そ彼の為の機材を借りに行った。
そろそろ誰そ彼当日の朝の定番となりそうな、新木場~築地~神谷町というコース。
機材を載せた後は、雨の本願寺にお参りをし、築地市場場外で遅めの朝ご飯を取る。
今回は、いつも通りがかりに気になっていたきつねやのホルモン丼にした。
雨は激しさを増してきて既に我々の体に野外フェス感が身に染み出している。

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こんな豪雨の中、果たしてお客さんは来てくれるのだろうか?という不安の中、とりあえず午後まで光明寺の和室で仮眠。

目が覚めても空は変わらず、続々集ってくるスタッフやご出演の方々と口々に「天気が残念」と言い合っていた。

しかし、押し気味ながらもなんとか4組のリハを終えて開場しようと戸を開けるとビックリ!、テラスにはそれなりの人数のお客さんが集まってくれている。

ライブ一番手はRocket or Chiritori。
2009年のThe Rational Academyとの共演を経て、今回は彼らからのラブコールもあり二度目の出演依頼をさせて頂いた。
バンドスタイルでのライブは久し振りとの事で、ご当人達もとても楽しみにしてくださっていたようだ。

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今回持参してくれた手作りの限定新作epの一曲目「ohametsu daihyakka」からスタート。

相変わらず青春の瑞々しい感覚を呼び起こしてくれるメロディーが素晴らしい。
90's Alternativeの良い加減を飄々と体現してらっしゃる姿勢は、我々誰そ彼スタッフも非常に憧れるところ。今一緒にイベントをしている事を嬉しく思い乍ら聴き入ってしまった。
これまた新作ep収録の「Tom-kun」もいい曲。

続き、Chihei Hatakeyamaの演奏。

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これも想像以上に誰そ彼のステージにマッチしていて、密かに心が小躍りしてしまった。
温かみのあるロケチリのパフォーマンスでほぐれた心を、再びピシッと引き締めるような筆圧高めの音。
こんなにピンポイントで胸を打つドローンは初めてだ。
まるで本堂の空間に絵を描いているかのように感じられた。

A Happy New Yearは、NY在住のオーストラリア人Eleanor Logan姐さんのソロユニット。

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事前に音を聴いた限りではラップトップや機材を並べて歌うのかとおもいきや、意外にSG&サムエフェクターという弾き語りスタイル。
キャットパワーなど、往年のマタ女(マタドール女子)好きには堪らない感じの
これまた90's Alternative根付く文系パフォーマンスに眩しさを覚えた。

そして、光明寺僧侶 松本紹圭による法話の時間。

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今回は法話というよりは、何故このイベントが始まったのか?という切り口から、我々の活動の芯となるこころの部分について話してくれた。

トリのThe Rational Academyが始まる前に、僕はベンジャミンとの約束を果たすべく、1枚のレコードをかけた。
彼は覚えているかわからないが、2年前の来日直後にTwitterのやり取りの中で、Dr.OctagonのBlue Flowerっていい曲だよねという話になり、「次に誰そ彼きた時はかけるよ!」と約束していたのだ。
イントロがかかった瞬間に、舞台でセッティング中だったベンジャミンが
気付いてこちらを見て、親指を立てて笑ってくれた。

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The Rational Academyは前回出演時とは編成がガラッと変わっていた。

本堂でドラムは基本的に使えないので、それらを考慮したお寺用セットにしてくれているが、小音でもバッチリとマイブラ的な甘くてノイジーな音像を紡ぎ出していた。
ベンジャミンのメロディーや歌声は相変わらず人懐っこく、オケをバックに歌いあげた数曲にもすっかり引き込まれてしまった。
音楽に愛すべき人柄が溢れ出している。


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最後は恒例の読経にて終了。
クロージングBGMとしてかかった「SMiLE」を聴きながら、豪雨の中来てくださったお客さんやご出演者、そしてスタッフ達に感謝。

ありがとうございました。次回は(恐らく)来年の春に!

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LUZ DO SOL

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某月某日

朝7:00に家を出ると土砂降りだったが、有楽町線が地上に出て新木場に着く頃には何とかあがっていた。
この日行われる誰そ彼 Vol.22の為に足りない機材を借りに、スタッフ数名が集まった。
工業用のデカいエレベーターに乗ってあがると、ドラマの撮影にでも使われそうなガランとした大部屋の一角にスピーカーやらアンプやら謎の機械やらが、乱立して街をつくっている。

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その中から、いつもお世話になっているTaguchiの田口社長が顔を出す。
まるでバックトゥザフューチャーの博士みたいでかっこいい。

いくつかの機材を車に詰め込むと、築地で朝飯を食おうという声があがった。
土曜なので場内市場があいている、僕は兼ねてより食べたいと思っていた『中栄』のカレーを主張した。
みんなインドカレー辛口とハヤシライスの「あいがけ」を注文。まんなかのキャベツの使い方が迷うところだ。

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インド留学を経た光明寺の松本君は、お店の雰囲気や市場そのものの空気にインドを思い出していたけど、世界中どこへ行っても賑わう市場というものはこんな感じなんじゃないかな、と僕は思った。
今日の出演者の久住昌之さん原作の『孤独のグルメ』の主人公だったら、どんな事をつぶやきながらあのカレーを食べ、何を思ってこの市場の通りを歩くだろうか。

そのまま築地本願寺へお参りをしたら、修学旅行か合宿かというムードで妙なテンションになり、光明寺についたら皆でビールをひとくち飲んで、雑魚寝で仮眠をとった。

1時間後、昼を迎えて準備を始める頃には晴れ間も見えてきた。
実はこの日お願いしていたPAさんがぎっくりをやってしまってまさかのPA交替劇があったり、光明寺にあると思われていたプロジェクターが平塚のお寺に行ってしまってたり、「nam」印刷中のプリンタが断末魔の叫びをあげたり、色んなトラブルが多発した。準備でこんなにドタバタする誰そ彼を久々に見た。

各自何とか持ち場でこらえつつ、開場してお客さんが入ってくると、とてもホッとするとともにドッと疲れが襲ってくる。。。
しかしそんな疲れも、トップバッター久住さんによるスライドショー「Projector Q」をみて笑ってふきとんでしまった!

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久住さんが各地で撮り貯めたおもしろ看板、へんてこ物件などを映写しながら的確なつっこみをいれていくのだが、これがとても素晴らしい。
何が素晴らしいかというと久住さんは何気ない日常の風景を切り取って、それをガラリと愛おしいものに変容させる視点の持ち主。
その風景の中に残された誰かの思いを見事に抽出して、楽しく共感できる形で見せてくれるのだ。

実は以前からずっと、光明寺でProjector Qをやって頂きたかった。
お客さんが爆笑なのはもとより、ご出演者の平田王子さんもお腹を抱えて笑っていらして、やはり今回このお二方にお願いして大正解!と確信が出来た。

そのまま、久住昌之 & BlueHipのステージ。
誰そ彼でこんなに大人数のステージを見るのも久しぶりといえる編成で賑やかに始まった。
先ほどのProjector Qと同じく、久住さんの曲は老若男女が楽しめる、初めてでも楽しめるという点が、お寺という場所にマッチしていると感じる。
だからこそ築地本願寺ライブでも、境内ステージと本堂ステージの両方を務めて頂けたのだ。

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確か2007年にご出演頂いた時には「できたて」と仰っていた『お寺へGo!』は寺ライブの定番になりそうな予感。誰そ彼のテーマ曲にさせて頂きたいくらい。
『歩いてゾンビ』という曲の中で『スリラー』のフレーズを挟んで、セクシーダンサーが踊る場面には、日本の宗教観のおおらかさを思ってうれしくなった。

気付けばあっという間に時間は過ぎて、ラストは大名曲『自由の筈』でシメ!阿弥陀様をバックに歌われる「生まれちゃうのは偶然 いつか死ぬのは必然」という歌詞がググッと皆のこころに沁み込んでくる。

続いては増田将之さんによるご法話。増田さんとはこの日まで直接の面識がなかった。ご出演の経緯は、なんと誰そ彼で法話がしたいと直々に申し出てくださったのだ。
これは本当に有難いこと。お寺のライブイベントを続けていて良かった!と思える瞬間。

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控え室からこの日の会を楽しんでおられたご様子で、前述の久住さんの『自由の筈』の歌詞について「いつか死ぬのは必然」と歌われていたが、今日話そうと思っていた事とほぼ重なっている、という出だしから。
光明寺のお坊さん木原君や、誰そ彼スタッフで僧侶の杉生さんも、この歌詞に対して仏教的な意味あいを感じていたが、やはり仏教の考えと同じなんだなと再認識。久住さんはその影響があって書かれた歌詞なのだろうか。

はじめての場、という事もあり今回は増田さんご自身の人生の経験を軸に語られていた。
意外にノリの良いお方で、キャッチーな挿話も交えつつも最終的にちゃんと仏教のお話に着地し、「死」というものに対しての思いを馳せた。

お寺で「死」について思いを馳せるなんて、一見すればなんとなく湿っぽくなってしまいそうなシーンであるが、全然そんなことない。この日の誰そ彼の雰囲気は、いつにも増して「陽」のパワーに溢れている。それは、増田さんのお人柄があり、その前の久住昌之 & BlueHipのステージ、そしてProjector Qでの大爆笑という流れがあってこその事。
さっきまで犬のおしっこで電柱が溶けてる写真を見てみんなで笑っていたかと思えば、その1時間後には同じ場所でお坊さんに「死」についての話を聞く。それらをフラットに成立させたいというのは、誰そ彼の本望なのだ。

そしていよいよ今日の大トリ、平田王子さんのご登場。
久住さんのライブが"太陽"のパワーだとしたら、平田さんは"こもれ陽"だろうか。木々の葉を通して届くあたたかい光のイメージだ。
一曲目は平田さんの新しいアルバムの中でも僕が特に好きな『Isto aqui o que e』で始まった。静かに、幸せがこみ上げてくる。

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昼間のリハーサルの時、音が大きいと本堂の扉を閉めるのだけど、平田さんの場合は大きくないので、あえて扉を閉めずにリハーサルをして頂いた。
というのは、単に僕が光明寺の外の緑色の景色を眺めながら平田さんの演奏を聴きたいという個人的な魂胆からだったのだが、平田さんもテラスの外の景色を見ながら演奏をする事で感じいるものがあったようだ。

テラスから見える古い大きな桜の木。木の下にはお墓が広がっている。その木を思って、なんとなく愛のうたを歌いたくなったとの事で、ジョビンのナンバーを中心に演奏されていたのだ。
凄く感覚的だけど、僕も何故か凄く同調して、愛のうたを聴きたくなった。
来ているお客さんも同じ気持ちになっていたら嬉しいなと思い、そして平田さんも仰られていたように、昼間の光明寺に来てあの木を見ながら今夜の演奏を思い出してもらえたらもっといい。

平田さんオリジナルの『台風リンゴ』は日本語の歌詞バージョンも良かった。ハワイアンの曲もお寺にとてもマッチしていた。
ちょうど一年前の10/20『誰そ彼 Vol.20』にご出演いただいた渋谷毅さんの名曲『生きがい』では、色んなご縁を思って思わずグッとくるものが、、、。
いつか渋谷さんとのデュオでもご出演頂けたら...と、贅沢な妄想もしてしまった。

また、平田さんが光明寺で演奏した感想として「お寺ならではの開かれた空気を感じる」と仰っていた。大分忘れてしまっていたけど、僕も8年前初めて光明寺を訪れた際に「この風通しの良さなら何でもできそうだな」と感じて誰そ彼を始めたのだった。
いつかその空気を当たり前に感じる様になったけれど、またその感じを思い出してみよう、なんて初心にかえるような懐かしくて新鮮な気持ちになったりもした。

最後は、光明寺のお坊さんと増田将之さんが登場し、お客さんも一緒にみんなでお経を詠んで終了。ありがとうございました。

本日はお寺の音楽会「誰そ彼」へ、ようこそお参りくださいました。


From 喜怒哀楽

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某月某日

日付が変わって、いよいよ本日の誰そ彼 Vol.22 開催によせて、入場時配布のフリーペーパーに書いた文章を転載する。

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『From 喜怒哀楽』 - 誰そ彼 Vol.22 開催によせて (文・遠藤卓也)

いきなりですが、「世間」という言葉の意味をご存知ですか?

元々は仏教用語であり、日本ではその後に一般名化し「この世」「世の中」「社会」のことを表す言葉ですが
単純に「社会」という言葉とイコールで括れない性質があるというのはなんとなくわかります。

例えば、学校はひとつの「社会」だと思いますが、個人の感覚でいくと学校全体と関わっているというよりは
担任の先生や仲の良いクラスメイトから形成される"輪"と関わっているという感じです。
その、一言で定義出来ない集合を言い表す言葉として「世間」は有用なのではないでしょうか。
考えようによっては、家族もひとつの世間ですし、職場や学校でも特定の集合においては世間といえます。
今日誰そ彼に一緒に遊びにきた友人同志でも、ひとつの世間を形成していると思えませんか?

人は多かれ少なかれ、自分が参加できる世間をいくつか持ち、その往来で毎日の暮らしが成り立っていると考えられます。

そんな「世間」のレイヤーで自分の日々を改めて見てみると、それぞれの「世間」の印象が異なる事がわかります。
また、役割もそれぞれであり、優先順位さえあります。

会社や学校の「世間」に参加するのは自由度が低くてメンドくさいな、とか
家族って当たり前過ぎるけど、一番優先すべき「世間」だな、とか
好きなあの子の居る「世間」に参加する時はワクワクして楽しいな、とか
世間に参加する事は、良かれ悪かれ刺激である事は確かで
その中で、喜んだり、怒ったり、哀しんだり、楽しんだりしている自分を見つけられます。

光明寺のお坊さんの松本圭介くんがインド留学から帰って来た時に、「お寺の役割」について話しました。
彼は、お墓を守ったりご法事を行なったり相談ごとにのったりと、いわゆる檀家さんという「家族単位」に対して担う役割があると共に、
そうではない「個人単位」に対しても心の豊かさや安心を提供していきたいと言っていました。

それを聞いた時に、お寺が誰かにとっての「世間」になれたらいいのかな、と思いました。
光明寺を全然知らない人でも、気軽に「世間」を増やせるような、きっかけ作りの窓口を準備していく事が、
「個人単位」に提供できるお寺の役割のひとつなのではないかという話をしました。

そういった意味では、光明寺ではテラスを開放してお坊さんがお茶を出したり、ヨガ教室がおこなわれたり、
この誰そ彼もあったりと既にいくつかの「世間」の用意があります。

今日はこの誰そ彼という「世間」に顔を出してくれた皆さんが、居心地良く思ったり、
ここで見つけたご縁でもって新たな「世間」を形成したり、皆さんの日々において
美しい感情を喚起するきっかけの「世間」となれていたらいいな、と思うのです。

本日は、お寺の音楽会 誰そ彼へようこそお参りくださいました。

サンバがサンバであった頃から

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某月某日

先日、NHKにて宮藤官九郎さんと向井秀徳さんが「私の10曲」を選ぶという趣旨の番組をやっていた。
向井さんは8年前の誰そ彼 Vol.3や、築地本願寺ライブにもご出演頂いたご縁がある。
それに宮藤さんという組み合わせも面白く、とても興味深く観た。

特に印象的だったのが「今の自分をあらわす1曲」というテーマで、2人とも震災後に音楽をあまり聴かなくなった時期があり、また聴ける様になったきっかけの曲を挙げていた事だ。
向井さんは『東京節』、宮藤さんはエンケンさんの『ラーメンライスで乾杯』をセレクトされていた。

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『東京節』は古くからある歌だけど、これまた以前誰そ彼にご出演くださったあがた森魚さんによるカヴァーを僕はよく聴いていた。
エンケンこと遠藤賢司さんは同姓のヒーローとして尊敬の眼差しで、こちらも築地本願寺ライブご出演頂いた折に、職権濫用(?)とわかりつつも思わずサインを頂戴してしまった程のファンだ。

曲をよく知っているが故に、両者の選曲には非常に頷いた。
震災のあとにふとiPodでランダムに再生された『ラーメンライスで乾杯』が気になって、その後何度もリピートして聴いていた、という宮藤さんの体験を想像して、自分の身にも起こりえたのではないかと思える程に強く共感した。

僕にも似たような事があった。
当時このブログ日記にも書いたが、地震があっても続く暮らしの中、漠然と捉えながらどうしようも出来ない不安に元気を失くし、僕もやはり消耗していた。
そんな折に、吉祥寺サムタイムで聴いた渋谷毅さんと平田王子さんの演奏が、
僕にとっての『東京節』であり『ラーメンライスで乾杯』なのだ。

いつもと変わらぬ佇まいで穏やかに力強く響く渋谷毅さんのピアノ。平田さんの歌声とギターは初めて聴いたのだけど、よく知る歌を鳥のような美しい声で楽しく歌っておられた。
なんというかその情景に、少し安心して少し元気が出たのだ。
その時に、この音楽をみんなと共有したいと心から思い、翌日平田さんにメールを送った。

その思いが、10.22の誰そ彼 Vol.22で愈々結実する。
共演者はみんなでたくさん悩んだ結果、ご縁の長い久住昌之さんにお願いした。

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何故久住さんにお願いしたかと問われると、なんとなくしっくりきそうだと思ったという直感もあるが、久住さんが先日リリースしたアルバムの一曲目『ボクだけの線』の歌詞からの影響があるかもしれない。
その箇所を抜粋させて頂くと、

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ボクにしか引けない線で キミの顔を描きたいな
ボクにしか出せない色で キミの髪を塗りたいな

ボクにしか出せない声で 今の気持ち伝えたいな
ボクにしか弾けない音で 古いギター鳴らしたいな
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この曲を初めて聴いた時に、毎回こんな気分で誰そ彼を企画しているなあと思ったのだ。
今回も個人的な経験から始まった思いではあるが、正に「ボクにしか出せない声で 今の気持ち伝えたいな」という気分からだ。
震災後に吉祥寺のサムタイムで実感した、あたたかい色で輝く空気をもっと多くの人と共有したいという思い。
そんな思いが静かに、そして賑やかに鳴って、来てくださったみなさんが楽しく安心な気持ちになれるといい。

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お寺の音楽会 『誰そ彼 Vol.22』 

日時:2011年10月22日(土) 17:30~21:00 
場所:梅上山 光明寺(東京 神谷町) 
http://www.komyo.net/ 
料金:1,000円 with 1ドリンク 
※ 今回はご予約制ではありません。当日、どなたでもご入場頂けます。 
出演: 

[Live] 
・平田王子 
http://kimikohirata.chu.jp/ 
・久住昌之 & BlueHip 
http://www.qusumi.com/ 
メンバー: 
久住昌之(歌、生ギター)Shake(キーボード)フクムラサトシ(サックス) 武士守廣(ベース)荊尾浩司(カホン)美香&陽子(ダンス) 
・Projector Q
(久住昌之さんによるおもしろスライドショー)

[法話] 
・増田将之(浄土真宗本願寺派) 

[選曲] 
・Busse Posse DJ's 

[Food]
・料理僧 KAKU(from 暗闇ごはん)
http://www.higan.net/kurayami/

[Drink] 
・神谷町オープンテラス 
http://www.komyo.net/kot/ 

more info 
http://www.taso.jp
某月某日

8月の終わり、ひと雨あって街中の空気がスッと様相を変え始めたその日「光明寺たそがれ夏祭り」を開催した。

光明寺に着くと、強烈に香しいスパイスの香り。お寺別館の台所でインド料理屋さながらの匂いを発しているのはなぎ食堂 / mapの小田さん。
どう捻ってもおいしいカレー以外は出てこなさそうな鍋の様子を感じて否応なしに期待は高まる。

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出演の王舟さんはお寺の畳の上に足を投げ出して、ゆっくりとした佇まいでギターを鳴らしている。高城昌平さんもやってきた。
ご出演者、スタッフ達が揃ったお寺の一室には、まるで暫くぶりのいとこ同士が集まってきたかのような、"他人ではないかんじ"の空気が既に横たわっている気がした。
これからみんなでやるのはライブイベント?、、、もしかしたらホームパーティーのようなものかもしれない。

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開場前、お客様が続々と集まるテラスもなんともいい空気。
"残暑" という美しい日本語を忘れてしまいそうなくらいの優しい風がテラスにそよいでいる。

今回は光明寺に新しく導入されたスピーカーのお披露目会も兼ねての夏祭り。お寺の設備を使わせて頂くだけなので準備は早い。
いつものスピーカーは外に出張して、スタッフ齋藤くんの選曲をテラスに届けた。

最初のライブは高城昌平さん。軽妙なMCで誰そ彼への入り口をより親しいものにしてくださり、リラックスしたムードで演奏がスタート。
ソロ故にceroではやらない曲を、という事でカヴァー曲を交えつつだったが、一貫したテーマが通底しているような楽曲たちに、お寺の本堂で向かい合う。
夏の終わりのみんなの心にしっとり浸透してくる、静かな泉のようなひんやりとしたギターと歌声だった。

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光明寺新スピーカーは快調に鳴っている。このスピーカーのお父さんとも言うべき方、ユニット部分を開発したLEEDの江夏喜久男さんに話して頂いた。
「この音を聴いてどう思いますか?」
あまりに率直な質問に思わずたじろいでしまい上手く回答出来なかったが、言われてみれば確かに判る「音が真っ直ぐ聴こえる感じ」
音は真っ直ぐにしか飛べないから、真っ直ぐに飛ぶユニットを作ったという。変に反響したりせず、所謂 "音がまわる" 感じがない。
江夏さんは「あの向こうのお墓まで届く」と自信を持って断言されていた。
お経が墓地に満ちる様子を想像してなんだかうれしい気持ちになった。

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続いて光明寺僧侶の松本紹圭による法話。この法話の声もお墓に染み込んでいるだろうか。
人の苦しみとは「思い通りにならない事」、例えば身近で言えば、背がもう少し高ければとか、もっといい仕事に就きたい、とか。
そんな導入から、実は"生まれる事"も望んだわけではないので仏教では"苦しみ"の内に入るという考えに話は及び、そこからするすると原因を辿っていくとどんどん頭が整理されていく。
ほんのちょっとの視点の変化で少し気持ちがラクになる事がある。仏教は一緒に悩んでくれるから、多くの人にとってとっつきやすく、ヒントが見出し易いのだと思う。
お坊さんはその手助けをしてくれるのだ。

ラストは王舟さんのライブ。
意外にも寺ライブは初と仰っていたが、本堂の前で正に堂々と響くギターと歌は男らしくかっこよかった。

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序盤は高城昌平さんをゲストに迎えてのメドレー。電気グルーヴの「虹」カバー等も聴かせてくれた。
しなやかに聴こえるのに、芯が太く、繊細なのに豪快。相反する二つの印象が入れ代わり立ち代わる不思議な個性だ。
最後に演奏された名曲「Thailand」の歌声は光明寺新スピーカーによってお墓を越えてまだ見ぬ彼の地に届かんばかり。
居場所を失くして暗闇に浮かぶかのようなこの心地良い感覚が、いつまでも続いてほしいと願った。

そしていつもの様にみんなでお経を詠んで終了。
ご来場くださったお客様、御出演者の方々、スタッフのみんな、ありがとうございました。

足で蹴り上げる豪快な夏

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某月某日

- 光明寺たそがれ夏祭り 2011 開催によせて

とある夏の夜、光明寺僧侶の松本くんとお寺で打合せしたあと、神谷町で馴染みの中華屋『天下一』にてご飯を食べた。

僕は迷わず生ビール。松本くんはお酒を飲まなくなったので、ちょっと迷ってホッピーの「ソト」だけ。
ニンニクたっぷりのジャンボ餃子をつまみながら、ひとときの世間話。

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最近インド留学から東京に戻った松本くんは、新しい家に家電や家具を買い揃えなければならない。
そんな時、インターネットのレビューや評価等を割りとよく調査する派だそうだ。
彼がお坊さんになる前からの付き合いなので、そういうタイプである事をよく知っている。また彼も僕が同じタイプである事をよく知っている。
昔から二人とも「せっかくだから」が口グセ。だから「やっぱそうなるよねー」なんて共感しあったのだ。

学生の頃ならいざ知らず、社会人になって少しはお金を持った今でも機能や価格比較をトコトンやってしまう自分たち。。。
良いものを安く手に入れたいというのは消費者の行動として自然だけど、調査に費やす時間を考えたらある程度で切り上げる潔さも大事なんだろね、なんて判りつつもショーブンだから仕方が無いという気もする。
その志向は別に家電や家具に限った事ではないし。

ただ、それこそここ十数年のインターネットの普及で情報は溢れかえっている。
プロアマ問わぬレビューの嵐、なんでも得点化、または企業の卑しい系マーケティング趣向にも正直辟易だ。
世の中よってたかって物の品質を平均化させたがってるような居心地悪さを感じる。
「昔は物を買うにも博打感があった」
なんて言ってる人も居るけど、その意見には賛成だ。
真剣さがこだわりならば良いけれど、飽和しきった情報が思考を画一的な損得勘定に限定させる傾向にあると思えるのだ。
情報や選択肢はたくさんあったほうがいいけど、判断基準には一貫性が必要。あとは直感と瞬発力。

話しながらそこまで気付いた僕と松本くんは、僕ら2人に少し欠けていると思えるこの「何か」をまとめるキーワードを思いついた。
『豪快さ』だ!
今の時代に必要なのはキット『豪快さ』
そうだ、豪快さんでいこう!!

お腹いっぱいになっただけではない満足感をもって僕らは中華屋を出た。
ビールを飲んだ僕だけ酔っ払って、だけど松本くんもホッピー(ソトだけ)でなんだか調子いい感じで、帰り道の経路探索をする僕を制した。
「豪快なヒトは帰りかたなんて調べないんじゃない?」
その時はそれもなんだかいいな、と思えたので調べるのはやめて取り敢えず同じ方向の地下鉄に乗ったのであった。

『お寺の音楽会 誰そ彼』はレビューも星もついていないけど、選択にこだわる数名の仲間たちが毎回自信をもってお寺にお招きする要素の集合体だ。

有難くも足を運んでくれる皆さんの、瞬発力と一貫性、そしてちょっとの博打感でもって選択してもらえていたら、とてもうれしい。

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じゃっ 夏なんで

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某月某日

誰そ彼が始まった頃の事を思い出す。

2003年の初夏、光明寺の本堂で音楽を聴いてみようというハナシになり、備え付けのスピーカーを見せて頂いた。
建物自体に組み込まれており、年季の入った風合いに期待が募った覚えがある。

しかし、確か結局使わなかった。記憶は曖昧だが試聴させてもらって適さないと判断したのか、「元々、音楽聴く用ではなくって、法話やお経のためのスピーカーだからね。」なんてハナシをしたような気もする。

最初の数回は光明寺僧侶の松本くんの所有していたホームリスニング用トールスピーカーを使用させてもらった。

2004年にあがた森魚さんに出ていただける事になった際に「さすがに家庭用では、、、」という事で、今のPAの福岡くん(Fly Sound)にはいってもらい、スピーカーを借りるようになった。

そんなご縁が続き2011年、光明寺が音響設備をリニューアルする事になり、
福岡くんがディレクションを手掛けたのだ。

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スピーカーは誰そ彼もずっとお世話になりっぱなしのTaguchiさん。
まだ音は聴けていないが、設置後の見た目はまるで昔から光明寺にあったかのようなフィット感だった。

Taguchiさんのスピーカーのデザインは愛嬌があるから好きだ。
知識不足故、詳しい仕組みは聞いてもよくわからない事が多いけど(笑)、「音がよく聴こえるように」設計された結果のデザインが、どれも生き物っぽい形になっているのが面白い。

今回の新スピーカー君も本堂の天井にぶら下がる妖怪みたいでかわいい。

そんなスピーカーのお披露目会も兼ねて、誰そ彼の番外編的な夏祭りを開催する事になった。
ご出演は福岡くんの推挙で、王舟さんとceroの高城さんが演奏してくれる。
勿論、本来の用途であるお経や、光明寺僧侶の松本坊主による法話もあるし、スピーカー開発のお話をLEED 江夏
さんに話して頂く予定だ。
そしてFoodはなぎ食堂!Drinkはいつもの神谷町オープンテラスがおもてなしします。

なんとも不思議な由縁で結実したイベントだけど、きっと面白い夏の夜になるはずなので、興味を持たれた方は是非!

『光明寺 たそがれ夏祭り 2011』

日時:2011年8月27日(土)18:40~21:00
場所:梅上山 光明寺(東京 神谷町)
http://www.komyo.net/
料金:1,000円 with 1ドリンク
※ 今回はご予約制ではありませんが、入場定員に達した時点で受付を終了させて頂く事がございます。

出演:
[Live]
・王舟
http://ohshu-info.net/
・高城 晶平(from cero)
http://www.geocities.jp/cerofan/

[法話]
・松本紹圭(浄土真宗本願寺派)
http://www.higan.net/isb/

[スピーカートーク]
・江夏 喜久男(LEED)

[PA]
・Fly sound
http://www.fly-sound.com/

[選曲]
・Busse Posse DJ's

[Food]
・なぎ食堂
http://nagi-shokudo.jugem.jp/

[Drink]
・神谷町オープンテラス
http://www.komyo.net/kot/

more info

ナイスビュー

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某月某日

神谷町の空はよく晴れていた。
6月最初の土曜日『誰そ彼 Vol.21』の当日、御徒町で2軒のカレー屋にふられてしまった僕は、結局神谷町の行きつけの中華屋で冷やし中華を食べる事に決め、信号を待っているとスタッフのサイトウくんも来た。

思わず2人でビールを頼み、イベントに向けて気合いを入れるどころかますますリラックスしてしまった。
今年最初の冷やし中華とビールの組み合わせは最高に旨かった。

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うっかりビールを飲んでしまったものの、みんなのがんばりで恙無く準備は終了し、開場。
涼しげな風が吹き始めた光明寺のテラスでは、飲み物片手に談笑する人々、スパイスの香りにつられお坊さんの作ったベジカレーを食する人、なんとはなしに墓地を見つめる人、それぞれライブまでの時間を過ごしている。

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誰そ彼スタッフが作成したジン『nam』の評判も上々のようでよかった。

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一番手は佐立努さん。持参の小さなアンプをフィードバックさせ、小さなノイズを堂内に広げる。
歌う声は密やかで、メロディーは美しい。
まるで小さなニールヤングのようだ、と思った。
思わず人柄の滲み出る曲間のMCの佇まいにも大きく共感。

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風は段々と涼しさを運び、インドからのお客様を招き入れる。
ディネーシュ・チャンドラ・ディヨンデさんは来日14年のタブラの先生だ。
上手な日本語でタブラという楽器の概要を説明した後は、とにかく叩きまくった。
タブラとは打楽器にしてなんと雄弁に語るのか、と思わせるのは流石の先生の技術故。
お寺にタブラってのはベタ過ぎて今まで考えてなかったけど、当たり前に良い。悪かったら困る。

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ここで一度クールダウン、一年間のインド留学を経て帰国した光明寺僧侶、松本紹圭氏の法話タイム。
インドで「経営」を学んで思い至ったという話は正に誰そ彼ジン『nam』の語る一面と符合した。

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ラストはmoon face boys。
昨年の光明寺大掃除の時、moon face boysのCDRをラジカセでかけたら、スタッフのNちゃんはアルゼンチンの(音響系一派の)人かと思ったそうだ。
誰そ彼の宣伝をすべく小田原FMでmoon face boysをかけてもらった時、インターネット経由のサイマルラジオの妙な音質で聴いたらバシッとキマってたし、辺境のデバイスがマジックを呼ぶらしいmoon face boysの音楽。
やはり光明寺の風景の一部にも溶け込み、親しみの空気で堂内を満たしてくれた。
急遽客演が決まった名古屋のMC HADAさんによる異化にも思わず膝を叩く。

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そしていつもの様にみんなでお経を詠んで終了。
ご来場くださったお客様、御出演者の方々、スタッフのみんな、ありがとうございました。

片付けや打ち上げで各スタッフから聴いた声は、「誰そ彼らしい誰そ彼でよかった。」との事。
"誰そ彼らしさ"の定義はよくわからないが、自分もなんだか凄く「安心」でいられる時間であったと思う。
どうやらその場限りにこしらえられた空間とは思えない。目には見えないけど、まるで地底の水脈のようにどこかで会場の皆さんと繋がっていると思える景色があった。

この日久々に誰そ彼の舞台で法話をしてくれた光明寺の松本君とも話していたように、まずは自分の見渡せる世間がナイスビューである事。その中に居る人たちから見てもナイスビューである事。
そんな機会をひとつでもふたつでも、自分達のできる範囲で作っていく事が今は大切に思えるのだ。
まるで草むしりのように、シンプルで地道だけどたいせつな事。
整えられた庭は何度でもながめたくなる、安心で豊かなナイスビューであるはずだから。

デイドリーム・ネイション

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某月某日

 - 『nam』創刊に寄せて

誰そ彼はこれまでライブイベント企画とあわせ、スタッフたちによる執筆活動も行なってきた。
媒体は会場で配るフリーペーパーや不定期発行のメールマガジンだ
前者も後者もイベントにまつわる"ふろく"のような気持ちでいながら、どこかで共感を得られれば幸いというスタンスで取り組んできた。
それらの活動の発展系としてこの度、誰そ彼のジンを創刊する事にした。

ジンとはZINE、個人発行の紙媒体のことで、所謂ファンジンや同人誌のようなもの。
タイトルは『nam』。これは"日本オルタナティブマガジン"の略で、このジンのテーマそのものを表している。

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人が活力を持って生きていくのに必要な要素はなんといっても「興味」だと思う。
興味がある時はワクワクして行動的になれる。
逆に、何事にも興味がない時はルーチンワークのように日々が過ぎていくだけになってしまう。

日常の中で僕らの興味を誘おうとしているものはたくさんあるけど、すぐ目につき手に取り易いのは大抵、資本にコントロールされているもののようだ。
それはこの日本においてはごく自然な事で、悪い事ではないと思う。
だけどそのガイドは僕たちがお金を支払った時点から徐々にフェードアウトしてしまう事が多く、
手に入れたものは何時の間にかタンスの奥にしまい込まれて残念ながら忘れ去られるケースが少なくない。

また、より大多数へのフィットを求めるが故に、価値観が画一化しているのも難点だ。
人によっては選ぶ対象にすらなっていない場合も多々あるのかと思う。

「オルタナティブ」という言葉は「もう一方の」といった意味合いを持ち、
90年代以降に「オルタナティブカルチャー」「オルタナティブミュージック」のような
キーワードとして使われてきた。

この場合、「もう一方の」とは先ほど挙げた資本経済、企業による支配的文化の外を示すと僕は解釈している。
際限ある価値観の元で、無理に「興味」を選択して日々を送るのではなく、
「もう一方の」視点から文化、社会、そして自分を見直してみた時に浮かび上がる「興味」を選択すること。
消費社会が進みきってしまった今では、特にたいせつな事ではないかと感ぜられるのだ。

僕たちがイベントを行なわせて頂いている「お寺」、ひいては「仏教」というものは
ある種そういった「もう一方の」視点を人々に提示してきたのだと想像する。
伝来当初、外来のモノである仏教は、確実に「もう一方の」ほうだったんじゃないかな。
それはきっと今でもそう。身近なお坊さんたちの話を聞いたり歴史の本を読んでいると
仏教についてあまり詳しくない僕でも「そうだ」という実感がある。

誤解を恐れずに言うならば、仏教はオルタナティブなものなのだ。

お寺がご縁で集った仲間達が、音楽がご縁で来られたお客様と
「もう一方の」視点を共有する。新しい「もう一方」を発見する。
そんな目的を掲げて誰そ彼の仲間たちと、『nam』を発進させようと思う。
我流の素人集団が運営するイベントであり、そしてジンなのでお見苦しい点も
あるかと思うが、多くの方にご参加頂ける袋となり、それぞれの「もう一方」を共有する機会として活用できればと願っている。

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『nam』 no.0 創刊準備号
発行日:6/4(土)
価格:¥100
(誰そ彼 Vol.21会場にて頒布)
http://www.taso.jp

発行:誰そ彼
編集:斎藤遥
執筆:誰そ彼スタッフと仲間たち

マスター・アンド・エヴリワン

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某月某日

以前、saara trio として誰そ彼にご出演くださったベースの松永誠剛君の呼びかけでちょっと遅めの新年会が催された。
同じく saara trio や Kenji Ikegamiさんのバンドメンバーとして2度誰そ彼で鍵盤を弾いてくださったピアノのsaaraさん、そしてSawada+Haradaというユニットでご出演後も外国人出演者のアテンドなどで大変お世話になっている原田君、誰そ彼のPAをずっと担当しているFlysoundの福ちゃん、等など僕と同年代のメンバーが集まった。
昨年11月の『音泉温楽2010』でも同メンバーが集結した事があったが、その時は場所も相俟ってかまるで修学旅行で他校生とつるむようなワクワク感を覚え、それ以来また一緒に酒を飲むのを楽しみにしていたのだ。

他にも、誠剛君繋がりのミュージシャンや音楽関係者が集い、京急蒲田駅に程近いカウンターだけのお店がいっぱいになった。
料理が驚くほどおいしいこのお店『侍』も、誠剛君のご縁のあるお店で初めてなのにとても居心地が良い。"ここじゃなきゃだめ"感をひしひしと感じた。
一番奥の席から、店の中のなんとも幸せな光景をにやにやと眺めていると、其処此処で交わされている話も其々おもしろそうだ。

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僕はPA福ちゃんと原田君と、お寺の構造あるある話をした。
おこがましい事承知の上で発言すると、光明寺の本堂はなんというかライブ向き。
所謂ステージ領域を設け、両脇にスピーカーを配置、そこから聴衆の座れる領域が充分に取れる。謂わばライブハウス的構造なのである。
光明寺に限らず、他のお寺にお参りした際も、僕はついついそういう視点で本堂を見てしまうが、福ちゃんは光明寺以外のお寺さんでもPAの仕事があるので余計実感があるようだ。

二人の共通の意見としては、光明寺のようなライブ向き構造のお寺というのは意外に少ない。
聴衆の座れる領域が寸足らずの場合が多いのだ。
仏様が色んな角度から見れるようにとの配慮なのか、せり出しており「余間」という左右のスペースにも座れるようになっている、コの字カウンター的構造が多い。
"音楽を聴く"という観点からすると、スピーカーの配置や演奏者の立ち位置などが難しい。

勿論、お寺の本堂は元々そういう観点では設計されていない。
福ちゃんなんかは、だからこそうまくやってやろうという面白さはあるかもしれない。天井の構造や壁の材質などは、ライブハウス等には無い特色があるわけだし。

僕は、お寺に"コの字カウンター的構造"が多いという点に思い至ったのが可笑しかった。
今日のような小さなお店によく見られるコの字カウンターは、ご主人ひとりで切り盛りするための作りといえよう。
全てのお客さんが視野に入り、注文を聞き易い、そして料理を出し易い。
これって、正に仏様のメソッドと似てる。人々をみておられ、人々から聞き、そして手をさしのべる。
お店では唯一の存在であるご主人と、お寺で唯一の存在である仏様。
どちらの方も、はたらきやすいようにその仕事場が整えられているという事か!
なんて考えながら、カウンター内で良い香りのつみれ汁を椀によそっているご主人を見た。

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※写真は誠剛君のアフリカ土産。「AFC48」ポスター。ガムで壁に貼られていたらしく4隅がべとつく。

青年は荒野をめざす

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某月某日

三鷹にあるおんがくのじかんというお店でmoon face boysのライブを観た。
moon face boysとはmy pal foot footの竹下慶さんのソロユニット。アコギとバンジョーの弾き語りで、まるで起きぬけのビールのような眩しい黄金色の倦怠感が、妙に居心地の良い歌を歌ってらっしゃる。

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ご近所にお住まいのshibataさんも見に来られてて一緒に楽しんだ。
shibataさんも竹下さんも以前誰そ彼にご出演頂いた事もあり、なんだか会うといっつも一緒に酔っ払ってしまうので、この日も結局終演後は三鷹の居酒屋へ。

ライブの感想や、好きな音楽の話をしながら、生茶葉ウーロンハイの杯がいくつもあけられ、夜も更けていくが話は尽きない。
その中で「やっぱ、現場ですなあ。」という話になった。音楽をやっているお二人にとっての現場とは、この日のようなライブのこと。この"現場感"というやつは僕もすごく大切だと思う。

音楽を「シェア」する、なんていうとイマドキはファイル共有の感じがして好きではないが、(CDやレコードは所有してなんぼと思う)
誰そ彼はお寺で音楽をシェアしたいという気持ちで始めたイベント。
最初はライブをする予定も無くって、本堂でみんなの好きなレコードをかけて、持ち寄ったご飯やお酒を楽しもう、そういう趣旨で企画された。
たまたま第一回目から演奏してくれる友人がいたので、ライブイベントになったけど、そのおかげでレコードには載っていない音楽も共有できるようになった。

そこからゆるゆると繋がり広がっていくご縁を伝って出会う様々な人と新たな現場をこしらえる。
同じ方向を向いてるってだけで、前から気になっていた人と出会えたり、久しぶりの人と再会も出来る。
この日のshibataさん、竹下さんは正にそんな感じで、今二人と飲んでいるのがとても不思議な気分だ。

それで「やっぱ、続けていくことですなあ。」なんて話も。

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僕らが旅に出る理由

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某月某日

『お寺の音楽会 誰そ彼』というイベントを東京 神谷町の光明寺さんで開催するようになってからもうすぐ8年が経つ。
元々、お寺や仏教とはご縁の薄かった自分であるが8年もお寺の周りをうろちょろしていたせいか、ここ数年は仏教に対して愛着のような思いがある。
信仰と称するにはおこがましいような、恐縮してしまうような小さな思いであるが、前には無かった仏教由来とおぼしき視点が備わったのだ。と言ったらそれは少し大袈裟かもしれない。

以前にこれを「好きな球団を得た心境」と表現してみたところ、僧侶を含む友人数名の共感を得る事が出来た。この表現がやはりしっくりとくる。
詳しく始めると長くなりそうなので今日は此処迄にしておくが、そのうち語り出すかもしれない。

先日、NHKのTV番組『日曜美術館』で平山郁夫さんの特集をやっていた。
平山郁夫さんについては名前を知っていた程度で、偶々チャンネルを廻しただけのはずがなんとも引き込まれて最後迄見てしまった。
諸星大二郎さんの西遊記を題材にした漫画『西遊妖遠伝』を愛読している僕は、シルクロードや玄奘三蔵に密かな興味を抱いていたのだ。

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TV番組の中で、アフガニスタンで内戦のうちに盗難されてしまった、仏伝図「カーシャパ兄弟の仏礼拝」という作品が流れて今は日本にあるのだと知った。
仏教伝来と同じように、シルクロードの最果ては日本ということか。

僕が本や絵や映画の中のイメージを膨らまして空想するしかないような時代や、遠くの場所に生きる人々の暮らし。生きていく頼りとしての信仰がとても大切な人々。そんな人々が発する思想や、表現する芸術はとても強烈にみえる。
または、芸術や文化なんて思いもよらない時代や場所に生まれる人々も居る。
そんな人々こそ、更に強い祈りを秘めていそうだという気もする。

自分は信仰がなくても生きている。信仰は後天的な場合も多くあるだろうが、時代や人種や国や社会や家など広義での「生まれつき」に拠る部分が大きいのだと思う。
仏教では両者をとりまとめる便利な言葉もあると学んだが、僕のご縁は今の所は「好きな球団を得た心境」があるのみだ。

絵を眺める時、音楽を聴く時、本を読む時、ふと自分の立ち位置を確認したくなった時は「好きな球団」を思い出してみる。
この心境をもってして件のシルクロードに思いを馳せた時、遥か天竺に向けて旅立った玄奘を突き動かした衝動とは何だったのだろう?という問いが頭をもたげてきたのだ。

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