テラー・トワイライト / tasogare staff blogでタグ「誰そ彼スタッフ」が付けられているもの

Niji

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某月某日

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まもなく、2012年7月19日で『お寺の音楽会 誰そ彼』は10年目に突入する。
丸9年をぼんやりと振りかえってみて思う事は、「たくさんの人と出会ったなあ」という事だ。
イベントとして、多くの仲間や、ご出演者、そして来場くださる方々にとても恵まれているとつくづく実感する。
そして寛大にもこのようなイベントを開催させてくれている光明寺のみなさん。本当に感謝に絶えないです。
みなさん有難うございます。

イベントが続けられている事に対する感謝の思いがあると共に、一個人として『誰そ彼』の存在に感謝する思いがある。
『誰そ彼』の活動で得られる、仲間たちとの共感、出演者たちとの共感、ご来場の方々、そして仏教への共感は、何時の間にやら僕個人の人生の豊かさと密着していた。
自分のパーソナリティーを自己分析すると、『誰そ彼』以上に共感を得られる世間は無いのではないかと思う。
本当に有難いご縁だ。

世の中に、こんな気持ちの人があと100人増えたら、生き苦しい世の中由来によるいくつかの社会問題は緩和されるのではないか?と本気でちょっと思う。

少なくとも、光明寺さんの『誰そ彼』や『オープンテラス』の活動で大小あれど人生の豊かさみたいなものを享受されている人は、僕から見える範囲だけでも結構居る様に思う。
そして各々環境や事情は違えど、この「お寺」という施設は日本全国にコンビニよりも多い数で存在しているのだ。

(誤解を恐れずに)"お寺を利用させてもらっている身"としては、「ここにお寺の可能性があるんですよ!」と声を大にしたい。

だからこれから、この9年とそして10年目以降、僕が体験しているプロセスや、得られた結果をどんどん外へ発信していきたい。
それは光明寺さんや仏教への感謝であると共に、これから自分が担っていく使命のひとつかもしれないなと感じ始めている。

そんな思いも込めつつ、超宗派仏教サイト『彼岸寺』のインタビューに応えさせてもらった。
これを読んでくださった方が、僕たちのこの9年間のプロセスや成果を少しでも読み取って頂けたら嬉しいなあ。

【Interview】
・『彼岸寺』仏教はオルタナティブである/「誰そ彼」10周年記念 インタビュー
http://www.higan.net/news/2012/06/10.html


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某月某日

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2012年5月19日開催の誰そ彼  Vol.24の告知用フライヤーが届いた。デザインしてくれたのは僕の高校以来の友人K君だ。
誰そ彼創始メンバーの一人で、開始後数回の誰そ彼フライヤーは彼の手による。
 
ある時彼は、デザインの勉強をする為に英国へ留学し、それからなんとなく連絡が途絶え、疎遠となってしまっていた。 
 
考えてみたら、光明寺の僧侶になる前の東大生の松本圭介君と僕が知り合ったのは彼の引き合わせだった。
彼の誘いで松本くんの主催していた学生サークルに入って、音楽イベント開催の経験をしたり、今にまで至る仲間達との縁を紡いだ。
つまり彼が居なければきっと、誰そ彼はなかったんじゃないかな。 
 
彼と僕の出会いは高校時代、共通の友人づてに「音楽の趣味があいそう」という事で紹介された気がする。   
確かベックやビースティーボーイズやニルヴァーナの話で盛り上がり、「アタリティーンエイジライオットってすごい変なバンドがいてさ、、、」なんて話をした記憶がある。90年代真っ只中のハナシ。
 
それから僕らは一緒に色んな場所へ行って、くだらない話やマジメな話をしたり、音楽を聴いたり映画を見たり、とにかく感性を共有した。 
その空気感は今でも『誰そ彼』というイベントの中に流れていると思う。 
 
本当なら留学から帰ってきたらすぐにまた合流するつもりだったけど、色んな思い違いや仕方ない事情で彼は合流しなかった。
僕もずっと気になっていたけど、無闇に動いても意味がないような気がして、時を待っていた。
 
「待っていた」とはいっても、別に再会できる確信があったわけではない。このままずっと会えない未来のほうが想像に容易かった。
 その間、僕に出来たのは光明寺で『誰そ彼』 という旗を掲げ続ける事だけだった。 

だからある日突然彼が連絡をくれて再会して、今またフライヤーを作ってくれるなんて夢みたいだ。   
でもこれは嬉しい現実。印刷されたフライヤーはちゃんと我が家と光明寺に届いた。 
それを今日からみんなで配って、それを偶然手に取ってくれた人達が5/19に光明寺を訪れるのだ。   
   
- K君のカムバック。
僕は、やはり全ては正しい場所におさまるのだ、と思う。   
それがつまり、ご縁というものなのだろう。

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お寺の音楽会 『誰そ彼 Vol.24』

日時:2012年5月19日(土) 17:00~21:00
場所:梅上山 光明寺(東京 神谷町)
http://www.komyo.net/
料金:1,000円 with 1ドリンク
※ 今回はご予約制ではありません。当日、どなたでもご入場頂けます。

 出演:
 [Live]
・Nils Berg Cinemascope (from Stockholm, Sweden)
http://www.nilsbergcinemascope.com

・Saara Trio
http://soundcloud.com/saara/saara-trio-fly-high-live-in-tokyo-at-komyo-ji

[法話]
・木原祐健(浄土真宗本願寺派/神谷町オープンテラス店長)
http://www.komyo.net/kot/

[PA]
・Fly sound
http://www.fly-sound.com/

[選曲]
・Busse Posse DJ's

[Food]
・料理僧 KAKU (彼岸寺/暗闇ごはん)

 [Drink]
・神谷町オープンテラス
http://www.komyo.net/kot/

 [more info]
・お寺の音楽会 誰そ彼
http://www.taso.jp

足で蹴り上げる豪快な夏

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某月某日

- 光明寺たそがれ夏祭り 2011 開催によせて

とある夏の夜、光明寺僧侶の松本くんとお寺で打合せしたあと、神谷町で馴染みの中華屋『天下一』にてご飯を食べた。

僕は迷わず生ビール。松本くんはお酒を飲まなくなったので、ちょっと迷ってホッピーの「ソト」だけ。
ニンニクたっぷりのジャンボ餃子をつまみながら、ひとときの世間話。

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最近インド留学から東京に戻った松本くんは、新しい家に家電や家具を買い揃えなければならない。
そんな時、インターネットのレビューや評価等を割りとよく調査する派だそうだ。
彼がお坊さんになる前からの付き合いなので、そういうタイプである事をよく知っている。また彼も僕が同じタイプである事をよく知っている。
昔から二人とも「せっかくだから」が口グセ。だから「やっぱそうなるよねー」なんて共感しあったのだ。

学生の頃ならいざ知らず、社会人になって少しはお金を持った今でも機能や価格比較をトコトンやってしまう自分たち。。。
良いものを安く手に入れたいというのは消費者の行動として自然だけど、調査に費やす時間を考えたらある程度で切り上げる潔さも大事なんだろね、なんて判りつつもショーブンだから仕方が無いという気もする。
その志向は別に家電や家具に限った事ではないし。

ただ、それこそここ十数年のインターネットの普及で情報は溢れかえっている。
プロアマ問わぬレビューの嵐、なんでも得点化、または企業の卑しい系マーケティング趣向にも正直辟易だ。
世の中よってたかって物の品質を平均化させたがってるような居心地悪さを感じる。
「昔は物を買うにも博打感があった」
なんて言ってる人も居るけど、その意見には賛成だ。
真剣さがこだわりならば良いけれど、飽和しきった情報が思考を画一的な損得勘定に限定させる傾向にあると思えるのだ。
情報や選択肢はたくさんあったほうがいいけど、判断基準には一貫性が必要。あとは直感と瞬発力。

話しながらそこまで気付いた僕と松本くんは、僕ら2人に少し欠けていると思えるこの「何か」をまとめるキーワードを思いついた。
『豪快さ』だ!
今の時代に必要なのはキット『豪快さ』
そうだ、豪快さんでいこう!!

お腹いっぱいになっただけではない満足感をもって僕らは中華屋を出た。
ビールを飲んだ僕だけ酔っ払って、だけど松本くんもホッピー(ソトだけ)でなんだか調子いい感じで、帰り道の経路探索をする僕を制した。
「豪快なヒトは帰りかたなんて調べないんじゃない?」
その時はそれもなんだかいいな、と思えたので調べるのはやめて取り敢えず同じ方向の地下鉄に乗ったのであった。

『お寺の音楽会 誰そ彼』はレビューも星もついていないけど、選択にこだわる数名の仲間たちが毎回自信をもってお寺にお招きする要素の集合体だ。

有難くも足を運んでくれる皆さんの、瞬発力と一貫性、そしてちょっとの博打感でもって選択してもらえていたら、とてもうれしい。

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デイドリーム・ネイション

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某月某日

 - 『nam』創刊に寄せて

誰そ彼はこれまでライブイベント企画とあわせ、スタッフたちによる執筆活動も行なってきた。
媒体は会場で配るフリーペーパーや不定期発行のメールマガジンだ
前者も後者もイベントにまつわる"ふろく"のような気持ちでいながら、どこかで共感を得られれば幸いというスタンスで取り組んできた。
それらの活動の発展系としてこの度、誰そ彼のジンを創刊する事にした。

ジンとはZINE、個人発行の紙媒体のことで、所謂ファンジンや同人誌のようなもの。
タイトルは『nam』。これは"日本オルタナティブマガジン"の略で、このジンのテーマそのものを表している。

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人が活力を持って生きていくのに必要な要素はなんといっても「興味」だと思う。
興味がある時はワクワクして行動的になれる。
逆に、何事にも興味がない時はルーチンワークのように日々が過ぎていくだけになってしまう。

日常の中で僕らの興味を誘おうとしているものはたくさんあるけど、すぐ目につき手に取り易いのは大抵、資本にコントロールされているもののようだ。
それはこの日本においてはごく自然な事で、悪い事ではないと思う。
だけどそのガイドは僕たちがお金を支払った時点から徐々にフェードアウトしてしまう事が多く、
手に入れたものは何時の間にかタンスの奥にしまい込まれて残念ながら忘れ去られるケースが少なくない。

また、より大多数へのフィットを求めるが故に、価値観が画一化しているのも難点だ。
人によっては選ぶ対象にすらなっていない場合も多々あるのかと思う。

「オルタナティブ」という言葉は「もう一方の」といった意味合いを持ち、
90年代以降に「オルタナティブカルチャー」「オルタナティブミュージック」のような
キーワードとして使われてきた。

この場合、「もう一方の」とは先ほど挙げた資本経済、企業による支配的文化の外を示すと僕は解釈している。
際限ある価値観の元で、無理に「興味」を選択して日々を送るのではなく、
「もう一方の」視点から文化、社会、そして自分を見直してみた時に浮かび上がる「興味」を選択すること。
消費社会が進みきってしまった今では、特にたいせつな事ではないかと感ぜられるのだ。

僕たちがイベントを行なわせて頂いている「お寺」、ひいては「仏教」というものは
ある種そういった「もう一方の」視点を人々に提示してきたのだと想像する。
伝来当初、外来のモノである仏教は、確実に「もう一方の」ほうだったんじゃないかな。
それはきっと今でもそう。身近なお坊さんたちの話を聞いたり歴史の本を読んでいると
仏教についてあまり詳しくない僕でも「そうだ」という実感がある。

誤解を恐れずに言うならば、仏教はオルタナティブなものなのだ。

お寺がご縁で集った仲間達が、音楽がご縁で来られたお客様と
「もう一方の」視点を共有する。新しい「もう一方」を発見する。
そんな目的を掲げて誰そ彼の仲間たちと、『nam』を発進させようと思う。
我流の素人集団が運営するイベントであり、そしてジンなのでお見苦しい点も
あるかと思うが、多くの方にご参加頂ける袋となり、それぞれの「もう一方」を共有する機会として活用できればと願っている。

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『nam』 no.0 創刊準備号
発行日:6/4(土)
価格:¥100
(誰そ彼 Vol.21会場にて頒布)
http://www.taso.jp

発行:誰そ彼
編集:斎藤遥
執筆:誰そ彼スタッフと仲間たち
某月某日

震災後すぐに福岡のベーシスト、松永誠剛君からこんな呼びかけがあった。

- 支援イベント、アイディア、コンサートを計画・募集中! どこから手をつけて良いのか分からないですが、九州エリアの方、SHIKIORIは無料で使用OKです! みんなでアイディア考えましょう!

松永君は3/21に東京に来て、演奏もできる用意でくるとの事だ。まずはその日に、同世代の仲間たち5名で会って話をしようと決めた。
光明寺は春のお彼岸で大忙しなので場所は借りられそうにない。すると、東京都現代美術館内のレストラン、contentで集まるのはどうか?という提案があった。

更に、幸いな事にcontentさんのご厚意で、21日はアーティストの為に開放してくださるという。
場所のみならずPA機材、DJ機材等もお貸し出し頂けるとの事。本当に有難い。
僕もみんなで聴きたい音楽を持って参加しようと思う。

何かしたいけど、何からしたらいいのかわからない人、
みんなの顔を見て安心したい人、
とにかく誰かとなんか話したい人、
休みだから音楽でも聴きに行くか、という人
腹が減っては戦は出来ぬ、という人
等等、、、そんな人は一度集まってみよう。
2011年の春分の日に同じ時間をシェアしてみよう。

詳細は、下記にcontentオーナーの大地さんの文を引用します。

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『SKETCH OF GARLAND』
3月21日(月 .祝) @ content  東京都現代美術館 11:00~22:00 free

みんなで集まって、これまでのこと、これからのことを話し合うとともに、
祈りを捧げ、一緒に食事でも出来たらと考えています。

皆様のそれぞれの状況もあると思うので、
無理なくご参加して頂けたらと思います。

また当日は場所とライブ機材、djブース、ユーストリーム中継を開放します。
アート、音楽、食などの力を信じて、前に進めたらと。

今自分にできることを。
明るい未来を信じて。

daichi/garland

circulation harmony

店舗に募金箱を設置し、皆さまからお預かりした義援金は、
大切に被災された方々にお届けいたします。

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以上。
明日は春分の日、皆さん是非!!


犬は吠えるがキャラバンは進む

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某月某日

震災から1週間、、、

喋る事を躊躇ってしまうのは危ないなと思い、ここら辺でそろそろ一度Twitterじゃなくてblogの速度で自分の頭を整理したいと思った。

大切なのは話したい相手が居て、その人に正直な思いを話せているかどうかだ。
そうやって軸を定める事は心の衛生に繋がると思う。

僕は東京に住んでいて、幸いな事に被害は少ない。
なんというか、無事に生きており、大きな不便も無く、月曜から金曜まで会社で仕事をした。
だけど帰ってTVをつければ、信じられないくらいに呆気なく街が壊れ、大勢の人が亡くなっていることがわかる。

今や、震災前の自分の頭の中がまるで別次元の出来事の様に偲ばれ、俯瞰さえしているほど。
価値基準のちゃぶ台返しにあったようなキブンだ。

但し、それらがひっくり返った裏側にあるのは決して虚無じゃない。
それまでの自分の思考の優先順位のソートがリフレッシュされ、
思いもよらなかった感情が押し寄せてきている。
我ながら非常に情けないけど前に比べて、より素直で人間らしい感情やまるで当たり前のおおらかな思いが湧き出している。
なぜか自分に欠けていたピースがカチッとはまったような心地だ。

今は色々と麻痺していて、これから自分にも鈍い痛みがどっとやってくるのはわかっている。
精神的にも経済的にも耐えなければならない季節が訪れるのはそう遠くないはずだ。
その痛みに負けない為に必要な、本能的な人間の成長の兆しが自分の心に現れているのかもしれないな、と今は思っている。

誰そ彼スタッフ達に安否確認のメールを送ると、口を揃えて「まずは自分にできる事をやります!」との声がかえってきた。
「元気なひとはまずは自分が参らないように。元気でない人を助けられるように。」
みんなそうなんだな、そういう当たり前の事がグッと胸に迫っているんだな。

僕も、自分なりに吠えたり啼いたりしながら、日本というキャラバンとの歩みを続けていこうと思った。


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某月某日

ふとしたご縁で1年間くらい誰そ彼のスタッフをしてくれていたポルトガル人のダニエル君からFacebookで久々に連絡があった。
ICUを出てシンガポールで働くと言っていたが、今はヨーロッパ方面に居るとの事。元気で何より。
しかも、日本を離れても、日本の70年代の音楽が大好きで、細野晴臣や森田童子なんかを聴いているそうだ。

彼は2009年に長野の渋温泉で開催されたライブイベント「音泉温楽2009」にもスタッフとして一緒に参加してくれた。
その際に出演していた渚ようこさんのライブがえらくお気に入りだったらしく、その時の動画から「この曲は誰の曲か?」という質問をされた。
昭和の歌謡曲のようだが、知らない曲だったのでインターネットで調べたところ、中島みゆき作曲の『世迷い言』という曲である事がわかった。
元々は日吉ミミに提供した曲だそうで、Youtubeにこの映像があがっていた。


僕は79年生なので、ムー一族はよく知らず、ドリフもぎりぎりの世代だ。でも、土曜日にドリフを見るのが楽しみであった記憶はある。
この映像を見てしばらくノスタルジーに浸ってしまった。

こういうのが好きなんて変なポルトガル人だなと笑ったが、彼の母国語に「サウダージ(郷愁)」という言葉があるのを思い出し、案外こんな感じで世界共通なのかもな、と思ってまた笑った。

その数日後、BSでキャロル・キングとジェイムス・テイラーの2007年のライブを見た。
「出来る限り70年代の時にようにやろうとしている。」なんてMCを挟みながら、リラックスしたムードで演奏が進む。
二人とも結構いい歳だとは思うが、凄く上品に歳をとっている感じで安心して見られた。


ジェイムス・テイラーのフォーク~カントリー経由の乾いた風と、キャロル・キングのしっとりとしたピアノバラード、
時にソウル・フィーリングを増した熱い演奏や、二人のハーモニーを聴かせる楽曲もありとても楽しんだ。流石の円熟。

90年代に10代を過ごした僕には、「70年代のものはいい」という勝手なイメージがある。
リバイバルとかの関係なんだろうか。60年代は遠い昔のように思えるし、80年代はなんとなく覚えているから、70年代に憧憬を抱いてしまうのか。
だけど、ダニエル君に「遠藤さんは90年代好きですよね」なんて言われたのは図星で、90年代が大好き。00年代はどう読んだらいいのかわからないし、思い入れが無い。
以上から、人のサウダージの季節は「生まれる前10年間」と「生まれた後の20年間」で決まり、って事でどうだろうか。

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