テラー・トワイライト / tasogare staff blogでタグ「いい店」が付けられているもの

富士山

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遅ればせながら、あけましておめでとうございます。
本年も誰そ彼をよろしくお願いいたします。

2012年も半月経とうとしていますが新しい年ということで、富士山にまつわるお話しをひとつ。

■ 2011年5月、西武池袋線の大泉学園に引っ越した。駅から南に10分弱、小さな商店街に隣接した新しいマンションだ。4階だての3階角部屋、周辺に高い建物なく空は広い。

冬が近付き日の出が遅くなると、僕の起きる時間でも朝焼けが綺麗に見れる様になった。
それとともに、建物の4階通路から富士山が見える事がわかったのだ。
『誰そ彼』なんてイベントをやっているだけに、日頃夕景に思い馳せる事が多いが
冠雪の富士に沈む冬の夕日などは格別に感じて、機会を見ては4階の富士見スポットにあがるようになった。

■ 年の瀬、西武池袋線からも白い富士がきれいに見えるよねという話になった。
利用者ならば周知の事だが「富士見台」という駅周辺で、一時富士山が見える。
だから「富士見台」なのか、、、そんな話をした。

同じ頃、僕は『昼のセント酒』という本を読んでいた。
2011年、誰そ彼に二度目の出演をしてくださった久住昌之さんのエッセイで、「銭湯の一番風呂あがりに、明るいうちから酒を飲む」という、風呂好き酒飲みにはたまらないテーマの一冊だ。
その中で、数少ない銭湯絵師として、銭湯の背景絵を描いている中島盛夫さんの話があった。
銭湯といえば、壁面に描かれた富士山や風光明媚な楽園のような景色。銭湯の減少と共に背景画の絵師も減っており、日本に現在3名しか居ないらしい。

たまたま読んだ練馬区の情報誌にもちょうど 中島 画伯のインタビューが出ており、練馬区北町在住であるという事を知ってますます親近感を覚えた。

■ 年は明け、同居人が『昼のセント酒』を読んでてある事を教えてくれた。
マンションのエントランスに掛けてある「赤富士」に「ナカジマ」と署名が入っていると言うのだ。
僕が住んでるマンションのエントランスには何故か赤富士が掛けてある。
客人がくると、なんとなく照れながらこの赤富士を紹介していた。何故か客人たちも少し脱力して笑う。エントランスに赤富士ってなんだか不思議な存在だ。

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元々銭湯だった場所に建ったマンションと聞いていたので、それを偲んでオーナーが掛けているのだろうと思っていた。
改めて見ると確かに、カタカナでわかりやすい「ナカジマ」のサイン。『昼のセント酒』での説明と同じだ。
中島画伯は練馬区出身だし、おそらく間違いない。

そこでピンときてインターネットで調べた。
「石神井台3 銭湯」
すると予想通り、マンションになる前の銭湯の名は『富士見湯』であった。
ここからは冬には富士が見える。だから『富士見湯』なのだ。

記事によると2009年に廃業とあるが、在りし日の姿はかなり立派な戦後の東京の銭湯の佇まいだ。
富士見湯だけに、男湯と女湯にまたがる大きな富士山のペンキ絵があり、勿論中島画伯の作品。
記事を書いた方は気づいてないかもしれないが、実は本物の富士も見える富士見湯なのだ。煙突掃除の人ならば知っていただろう。
、、、いや、常連さんならば知っていたかもしれない、富士見湯の前の道を西に歩くと、冬は遠くにぽっかりと富士の白いあたまが見えてくるから。

■ 古き良き銭湯の跡地にマンションが建つ、残念な話だと思う。なんとなく、住んでる自分に後ろめたさも感じてしまうほどだ。
多分オーナーが最も残念に感じているのだろう。だからこそエントランスに中島画伯の赤富士を飾ったり、最上階からは富士見が出来るように、このマンションを作ったのだと思う。
深読みかもしれないが、まるでクイズのヒントのように、往時を偲ぶ要素が残されているのが素敵じゃないか。

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真っ青に晴れた寒い昼さがり、富士見湯の一番風呂につかる。
すっかり暖まった体で外に出ると、冬の冷気が心地よい。
駅への近道は右だけど、左からまわれば遠くに冠雪の富士山が見えるだろう。
ゆっくり歩いて駅についたら、駅前の居酒屋『あっけし』で生ビールを飲もう。肴は蒸し牡蠣と肉豆腐かな。

そんな、今となっては叶わない僕の『セント酒』を想像して、石神井台3丁目に在りし日の富士見湯に思いを馳せた。

自由の筈

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某月某日

西武新宿線、武蔵関にあるジーンズキッチンという飲み屋で、
久住昌之さんのバンドBlue Hipのライブを観た。

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久住昌之さんは『孤独のグルメ』や『かっこいいスキヤキ』の原作者として有名な方で、音楽もやっておられる方。
以前、誰そ彼や築地本願寺ライブにご出演頂いた事もある。

とある夏の日、吉祥寺の某居酒屋でお会いしてお話しして以来、僕はすっかり大ファンで、誰そ彼にご出演頂いたり、著作を読んだり、ライブに足を運んだりしているのだ。

この日の会場である武蔵関ジーンズキッチンは、料理がなんでもおいしくてリーズナブルな素晴らしいお店。
以前近くに住んでいた頃はよく通っていた。
マスターやスタッフさん達も覚えてくれていて声をかけてくれるの
が嬉しい。

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久住さんの作る歌は楽しい。
バカな歌があったり、グッとくる歌があったり、古い曲へのリスペクトを感じられる歌があったり、とにかく飽きないのだ。
これは久住さんの著作やプロジェクターショーなど全ての作品に感じる事だけど、いつも「違う視点」を与えてくれて、それは生活の何気ない風景をクスクスと可笑しいシーンに変えてくれる。

一人で外食している時とかなんとなく散歩している時とか、、、
そこにどうしようもない事情ややるせない現状があったとしても、ただ在る風景に愛と共感を呼び込む手品をもっていらっしゃるのだ
それは時にとても役に立つ。

そんな久住さんのスタンスが感じ取れる名曲が、この日のライブのクライマックスで演奏された『自由の筈』だ。


生まれちゃうのは偶然
いつか死ぬのは必然
その間は 自由
その人の自由の筈なのに


「あ、今、自由の筈なんだった!」
と、ふと気付かせてくれる、ある視点。
そして「なのに」って思ってしまう僕ら。「なのに」、、、「なんだ!?」

この歌の中で「なのに」の先は語られていない、ただ「自由」と並べて歌われているのは世の中の美しいもの。
まるで「自由」とは、この世のあらゆる美しさと当価値であると言わんばかり。
今生きている僕らは、それらと等しい「自由」の筈"なのに"。
この「なのに」に共感するのは何故だろう。逆に、共感しない人なんているのだろうか?それはどんな状態なんだろうか?
「自由」って、、、「なんだ!?

「自由」が持つ美しい響きは誰もが知っている筈だけど、それを定義出来ない自分にも気付く。
定義出来ないくせにやっぱり「自由の筈なのに」って思ってしまう。。。うーむ。

そんな事をぐるぐると考え始めた所でライブは終了。
畏れ多くも、久住さんやBlue Hipのメンバー、観客としてご来場されてた泉晴紀さんも席を並べる打ち上げ席に参加させて頂き、嬉しくってすっかり飲み過ぎてしまった。

しかし、現実は厳しい。ハッと目覚めたら昨晩の楽しい記憶も朧げに、明確なのは激しい頭痛と再起不能の己の身のみ...。
年に一度二度はやらかす体たらく。会社にごめんなさいして、回復まで寝てしまった。

昼過ぎにはなんとか動けるようにはなったものの、本調子ではないし結局仕事の電話はかかってくるわで、有休とったのにやりたい事は何も出来ないブルーマンデーブルース
あーあ、自由の筈なのになあ。


追伸:
久住昌之さんの新譜『musicomix』が7/24発売。楽しみ~。

マスター・アンド・エヴリワン

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某月某日

以前、saara trio として誰そ彼にご出演くださったベースの松永誠剛君の呼びかけでちょっと遅めの新年会が催された。
同じく saara trio や Kenji Ikegamiさんのバンドメンバーとして2度誰そ彼で鍵盤を弾いてくださったピアノのsaaraさん、そしてSawada+Haradaというユニットでご出演後も外国人出演者のアテンドなどで大変お世話になっている原田君、誰そ彼のPAをずっと担当しているFlysoundの福ちゃん、等など僕と同年代のメンバーが集まった。
昨年11月の『音泉温楽2010』でも同メンバーが集結した事があったが、その時は場所も相俟ってかまるで修学旅行で他校生とつるむようなワクワク感を覚え、それ以来また一緒に酒を飲むのを楽しみにしていたのだ。

他にも、誠剛君繋がりのミュージシャンや音楽関係者が集い、京急蒲田駅に程近いカウンターだけのお店がいっぱいになった。
料理が驚くほどおいしいこのお店『侍』も、誠剛君のご縁のあるお店で初めてなのにとても居心地が良い。"ここじゃなきゃだめ"感をひしひしと感じた。
一番奥の席から、店の中のなんとも幸せな光景をにやにやと眺めていると、其処此処で交わされている話も其々おもしろそうだ。

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僕はPA福ちゃんと原田君と、お寺の構造あるある話をした。
おこがましい事承知の上で発言すると、光明寺の本堂はなんというかライブ向き。
所謂ステージ領域を設け、両脇にスピーカーを配置、そこから聴衆の座れる領域が充分に取れる。謂わばライブハウス的構造なのである。
光明寺に限らず、他のお寺にお参りした際も、僕はついついそういう視点で本堂を見てしまうが、福ちゃんは光明寺以外のお寺さんでもPAの仕事があるので余計実感があるようだ。

二人の共通の意見としては、光明寺のようなライブ向き構造のお寺というのは意外に少ない。
聴衆の座れる領域が寸足らずの場合が多いのだ。
仏様が色んな角度から見れるようにとの配慮なのか、せり出しており「余間」という左右のスペースにも座れるようになっている、コの字カウンター的構造が多い。
"音楽を聴く"という観点からすると、スピーカーの配置や演奏者の立ち位置などが難しい。

勿論、お寺の本堂は元々そういう観点では設計されていない。
福ちゃんなんかは、だからこそうまくやってやろうという面白さはあるかもしれない。天井の構造や壁の材質などは、ライブハウス等には無い特色があるわけだし。

僕は、お寺に"コの字カウンター的構造"が多いという点に思い至ったのが可笑しかった。
今日のような小さなお店によく見られるコの字カウンターは、ご主人ひとりで切り盛りするための作りといえよう。
全てのお客さんが視野に入り、注文を聞き易い、そして料理を出し易い。
これって、正に仏様のメソッドと似てる。人々をみておられ、人々から聞き、そして手をさしのべる。
お店では唯一の存在であるご主人と、お寺で唯一の存在である仏様。
どちらの方も、はたらきやすいようにその仕事場が整えられているという事か!
なんて考えながら、カウンター内で良い香りのつみれ汁を椀によそっているご主人を見た。

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※写真は誠剛君のアフリカ土産。「AFC48」ポスター。ガムで壁に貼られていたらしく4隅がべとつく。

ビハインド・ザ・マスク

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某月某日

土曜日、10時50分に家を出て寒風の中ラーメン屋に向かって自転車をこぐ。
向かう先は「中華そば みたか」である。ここは古くから三鷹にあるラーメン屋「江ぐち」が一度閉店した後に、のれんわけをして同じ場所で再スタートしたお店。
2007年に誰そ彼にご出演くださった久住昌之さんが昔からの常連で『小説 江ぐち』なる本を出しておられて、僕はその繋がりでお店を知り近所なのでたまに行くようになった。

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ワンタンメンが好きで、そこに竹の子(メンマ)と、もやしのトッピングが好み。
更に贅沢にたまごも頼むと、麺を茹でる鍋に卵を落としてくれて半熟の状態で出してくれる。
これがまたウマいのだ。

代替わりしてガタイの良いお兄さんが二人でカウンターに入っているが、忙しく手を動かしながらも凄く丁寧に接客をしてくれる。
地元のお客さん達もお店が大好きで、店内のムードがいつも凄く朗らか。
土曜日のお昼はここのラーメンを食べるとすごく幸せな気分になる。

平日は仕事も遅いので、吉祥寺駅を降りてパッと夕飯を済ませてしまう。
時間的に空いている所も少ないし疲れているので「ここでいいや」と思って、安くて早い店で食べる。働いている人も、食べにくる人もみんな「ここでいいや」の心境。
だから客が店員にイライラしてたりして、そんなのを見て嫌な気分になって入るんじゃなかったと、ウンザリする事がしばしば。
とはいえ、便利なのでまた行ってしまう。

お店の用途は様々あるから仕方の無い事だけど、折角お金を払って外食するならば「ここでいいや」じゃなくって「ここじゃなきゃだめ」、なお店になるべく行きたい。

中華そば みたかは正に「ここじゃなきゃだめ」なお店。
働いている人も、食べにくる人もみんな「ここじゃなきゃだめ」の心境。
少し店内が狭くってもみんな肩を寄せ合ってカウンターに並んで、ビールも飲めるけど行列に遠慮してさくっと飲んで麺をたぐって帰る。
基本的に誰もなんも言わなくても秩序が保たれている。
それは別に、店主がガンコ親父だからとか、常連が怖いからだとかそんなことじゃなくって、「ここじゃなきゃだめ」な雰囲気がそうさせているのだと思う。
作る側も、食べる側も、その雰囲気を共有しているから全てが律されている。

そんな事を思いながら食べていたら、隣のおじちゃんが「お勘定!」千円札を出して、「お釣りはいいから」と言う。
僕は横で、「ここじゃなきゃだめ」精神がそうさせるんだなぁ、なんて頷いて楽しみにとっておいた半熟たまごをつぶしにかかった。

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